連載コラム・日本の島できごと事典 その146《大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判》渡辺幸重

大江健三郎著『沖縄ノート』

【LapizOnline】第二次世界大戦中の沖縄戦を説明するときよく使われる「集団自決」という言葉は戦後発行された『沖縄戦記 鉄の暴風』(沖縄タイムス社 編著)で太田良博が初めて使った言葉だそうです。戦争中に使われていた「玉砕」「自決」「自爆」などの言葉を言い換えたものですが、「自決」とは軍人用語であり、事件は住民の自発的行為ではなかったということから「強制集団死」という言葉が多く使われるようになりました。ただし、今回は「集団自決」という言葉を使った事件を扱うのでそのまま使うことにします。

2005(平成17)年8月、戦争中に沖縄県慶良間列島の座間味島で日本軍海上挺進隊第一戦隊を指揮していた梅澤裕(ゆたか)大尉と渡嘉敷島で海上挺進隊第三戦隊を指揮していた赤松嘉次(よしつぐ)大尉の弟が大江健三郎と岩波書店を相手取り、書籍で両名の名誉が毀損されたとして大阪地方裁判所に提訴しました。書籍は『沖縄ノート』(大江健三郎著、1970年)と『太平洋戦争』(家永三郎著、1968年発行/文庫本2002年発行)で、梅澤大尉と赤松大尉が住民に自決を強いたという記述によって名誉を毀損されたとして損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めたものです。

2008(同20)年3月の第一審判決では集団自決への日本軍の関与を認定し、梅澤大尉、赤松大尉の「集団自決」への関与も十分推認できることなどから名誉毀損の成立を否定し、原告の請求を棄却しました。同年10月の大阪高裁判決でも一審判決を支持して控訴を棄却、最高裁でも2011(同23)年4月に上告が棄却され、大江・岩波書店が勝訴しました。

大阪高裁判決は「集団自決」の犠牲者数として次のような記録があることを紹介しています。
(1)座間味島及び渡嘉敷島の自決者の合計人数は約700人(『鉄の暴風』:厚生省調査)
(2)軍から自決を強要された事例として、座間味村155人、渡嘉敷村103人の自決者があった(『沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料』)
(3)陸軍関係死没者4万8,509人のうち14歳未満の死没者は1万1,483人で、そのうち死亡原因「自決」は313人(『沖縄作戦講話録』)
(4)自決者は渡嘉敷村で329人、座間味村で284人(『沖縄作戦講話録』)
(5)「集団自決」は613人(『沖縄県史 第8巻』)
(6)座間味村の座間味部落だけで200人近い犠牲者(『座間味村史 上巻』)
このほか、沖縄本島中部で数十人、慶留間島で数十人、沖縄本島西側美里で約10人、伊江島で100人以上、読谷村で100人以上、沖縄本島東部の具志川グスクなどで十数人が「集団自決」の犠牲になったとされています。

『鉄の暴風』では、「(梅澤大尉が)米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ、玉砕を命じた」、「(赤松大尉が)全島民、皇国の万歳と日本の必勝を祈って自決せよと命じた」としています。大阪高裁判決は第一審判決同様、日本軍の「集団自決」への関与を認定し、梅澤大尉、赤松大尉の関与も十分推認できるとしました。たとえ二人が自決命令を発したことが直ちに真実と断定できないとしても合理的資料もしくは根拠などから二人の自決命令があったことを真実と信じる相当の理由があったとしました。

大江・岩波裁判は、稲田朋美弁護士(現衆議院議員)ら「自由主義史観」を掲げるグループに説得されて原告が提訴したといわれています。裁判の原告側応援団の「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」などは裁判を理由に教科書から「軍強制による集団自決」の記述を削除しようとしたのです。実際に文部科学省は2007(平成19)年3月、教科書検定において「集団自決を強制とする記述について、軍が命令したかどうかは明らかといえず、実態を誤解する恐れがある」との教科書検定意見を付けました。それを受けて教科書会社5社は日本軍の関与に直接言及しない記述に修正しました。これに反対する運動が起こり、同年9月29日には沖縄県宜野湾海浜公園に約11万人が集まって「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれました。そして12月26日、文部科学相の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」は「軍の関与」などの表現で日本軍が住民の「集団自決」にかかわっていたとする記述の復活を認めたという経緯があります。

岩波書店はこの裁判は「戦争観、沖縄戦観、軍隊観、そして戦後の価値そのものを問う裁判」でもあったと指摘しています。