現代時評plus《8月に思ったこと》山梨良平

地蔵盆

【609stdio】毎年のことだが8月は思うことが多い。これは特に筆者だけではあるまい。思いつくままに書き出してみると、ヒロシマやナガサキと言った「重量級」への思い、敗戦と言った決して芳しくない出来事は当然ながら、これら「重量級」の思いはなかなかかんたんにはここで書くことは難しい。多くの人の命を虫けらのように扱った戦争と言う魔物が80年になんなんとする今もなお重く覆いかぶさってくる。

そんな昨今、全国高校野球選手権大会で京都国際高校が初優勝した。既に様々な評論や誹謗中傷などがかしましいので、今更ここで書くことも無い。ただ聞けば劣悪な環境で日夜練習に励んで遂に高校野球の頂点に立ったと言うことは特筆すべきだし、まさに「あっぱれ!」な結果だと驚きそして称賛したい。
今年は原発が落とされて79年だとか。敗戦後の苦労、何時の頃からか「敗戦」を「終戦」と言い換える浅はかな知恵。また靖国神社の歴史を見てみると「靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社がはじまりです。明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。とその由緒にある。

つまり明治のはじめにそれまで庶民の心が寺院中心だったのを、神社中心というツールを編み出した結果、靖国神社や各地の護国神社、天皇の名を関した明治神宮などが矢継ぎ早やに建てられた結果、それが戦前の戦争装置のひとつとなったと思う。
思うに政教分離などとこざかしいことを言わずに、あっさりと神代の時代と明治以降にできた戦争装置の神社と明確に分ければ話は簡単だが、おそらくそれでは明治以降の神社の人々に与える価値が霧散するだろうと恐れているのだと思う。逆に言えば、時の首相や大臣などが恭しく参拝する様を国民に見せつけて、如何にも権威ある様にしたいのであろう。
嘘か真かこの神社には我々一般の理解でいう亡くなられた方々の「遺骨」もしくはそれに類する「らしきもの」は存在しないらしい。ただ紙にその名前が書かれているのみだという。さすがは神の世界の物語だ。

それはともかく、国民一般は戦死した身内が祀られていると信じるのはなぜなのか。ここにも国家の「装置」が垣間見える。そしてそれを利用する政治家がいるのには驚く。政治家はなんでも利用するとは聞いていたが、まさか彼らの言う「英霊」までも利用するとは・・・。

今年も9月になった。