【609studio】岸田文雄首相は14日、自民党の総裁選に立候補しないことを表明した。私は3年前の自民党総裁選で、岸田氏が「令和版所得倍増計画」を公約に掲げて当選したときから「時代錯誤首相」だと考えていた。はたして「なにをやりたいのかわからない」「やりたいことのない政治家」などと、政治評論家らから酷評されることとなった。現在の日本がどういう状態なのかを適格に分析できない首相であれば、やることなすことすべてがちぐはぐになり、揚げ句の果て、首相の座を投げ出すのは当然であろう。
岸田首相は、郷里・広島出身の池田勇人・元首相らが中心になって結成された派閥・宏池会の流れにのって政治活動を行ってきた。岸田氏にとって池田氏は憧れの政治家であったことはまぎれもない。
池田氏は1960年、安保条約の改定を強行して退陣した岸信介氏の後を受けて首相に就任。タカ派の岸氏との違いを浮き彫りにするため、「寛容と忍耐」をスローガンにかかげ、「国民所得倍増計画」を打ち上げた。
池田氏は「所得倍増計画」の骨子を発表したさい、「今後の実質成長率を経済企画庁は7・2%といっているが、少なくとも9%は成長する」と主張。「一人あたりの国民所得を約12万円から、1963年度には約15万円に伸ばす。10年後には国民所得は2倍以上になる」と述べた。
当時私は高校1生だった。「所得倍になれば車を持てるようになる」とまで言われたが、バイクですら無縁の私の家ではマイカーは夢物語でしかなかった。だが、「所得倍増計画がこの国の経済・社会構造を飛躍的に変えたことは確かだろう。1963年、名神高速道路の完成、翌1964年の東京オリンピック、相前後して東海道新幹線の開通、そして1970年の大阪万博。「高度経済成長の言葉が連日のように、華々しく新聞紙面を飾ったものだ。1968年には、GDPがドイツを抜いて世界2位になり、「経済大国」となった。
1957年生まれの岸田首相は経済成長真っただ中の時代に育ち、その申し子として政治家になった。首相になる前年に2020東京オリンピックがあり、2025年には大阪・関西万博を控えている。外形上、池田勇人氏の首相時代に似ていることもあって「令和版所得倍増計画」を打ち上げたのであろう。
岸田首相のいう「令和版所得倍増計画」とは何か。首相就任前、経済専門誌「週刊ダイヤモンド」の取材に、岸田首相は「成長と分配」を強調。「主役は民間企業。企業に成長の果実を賃上げに回してもらい、中小企業にも適切に分配されることを目指す」と述べた。さらに、「中間層にとって、住宅費や教育費が大きな負担となっている。格差が広がると、経済だけでなく社会も政治も不安定になる。所得倍増のメッセージを打ち出すことで、企業や国民の意識を変えたい」と語った。
岸田首相の「所得倍増計画」には、池田氏のような成長率を見込む数値はみられない。計画といいながら、具体性は全くないのだ。それでも「所得倍増」を打ち上げるだけで、池田政権時代のように企業や国民がウキウキ気分になるだろう、というのであった。
だが、株で大儲けした投資家など一部の高所得者はともかく、所得倍増計画の主たる対象である中間層はだれ一人ウキウキしなかった。格差が広がるばかりだからである。2022年3月の政府の経済財政諮問会議で、30代半ばから50代半ばの世帯の所得が、20年余り前の同世代に比べて100万円以上減少していたとの調査報告がなされたことからもわるように、この国は「所得倍増」を言いだせる状況では全くなかったのだ。
「後発優位」という言葉がある。中国の経済学者が言いだした。国が経済発展をする上で重要な要素である技術革新について、「先進国は新しい技術の発明のため、資本や労働力など高いコストを投入する。発展途上国は(先進国からの)技術移転を頼ることができるので、先進国より発展途上国の方が経済成長の潜在力が大きい」(林毅夫・北京大学中国経済研究センター所長)という。平たく言えば、先進国が開発した技術を発展途上国が真似れば安上がりですむというわけだ。
1960年以前、日本は後進国であった。池田政権下の経済成長は後発優位の結果なのである。そして日本は先進国になった。現在、中国などBRICS諸国の経済成長が著しいのは後発優位だからであろう。「後発優位」の逆は「先発劣位」。2023年12月の内閣府の発表によると、2022年の国民一人当たりの名目GDPは世界32位で、G7の中では最下位。34位の台湾、35位の韓国に抜かれるのも時間の問題との指摘もある。要するにわが国は先発劣位の典型例なのだ。にもかかわらず、所得倍増計画という後発優位時代の政策をとろうとすること自体、根柢から誤っている。
先発劣位から脱却する方策はあるのか。いまこの国の政治に問われているのはこの一点といって過言ではない。