Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫

若かった時の岡田嘉子

【609studio】戦前、稚内港と大泊港に「稚泊(ちはく)連絡船」が通っていた。ちなみにこの航路は210.0 km (130.5 mi)で8時間の航海だったという。この航路で樺太に渡った有名人に「銀河鉄道の夜」の構想を樺太で練ったと言われている宮澤賢治や、樺太から雪の北緯50度線を越えてソ連に亡命した岡田嘉子がいた。恋の逃避行説で有名な事件だった。
稚内港の北防波堤は吹き付ける吹雪を避けるための立派なドーム型の桟橋が残されている。このドーム防波堤に現在はないが稚内桟橋駅があった。樺太へ渡る人々はこの駅まで宗谷本線に乗ってきた。また大泊の桟橋は現在も使われている。

宮澤賢治

日本時代の大泊(現コルサコフ)は稚内との連絡船「稚泊連絡船」の樺太側の港だった。
この町には大勢のサハリン韓人が住んでいる。いつか祖国へ帰れるだろうと、そして「迎えに来てくれた帰国船」に乗り遅れないようにと、この港町で帰国船を待っているのだ。

結局帰国船は来なかったけれど…。 不定期・連載