Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫

コルサコフ港

【609studio】コルサコフ(大泊)は港町である。ここから、いやここへ稚内からの連絡船が着く。稚泊連絡船である。コルサコフは港を見下ろせる丘の町であった。この町にも残留朝鮮人は大勢暮らしている。2・3人に聞いてみた。彼らが口々に言うのは決まっていた。

“Webサハリン物語《episode#13 日本人はお墓まで帰国した》片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その145《屋嘉比島》渡辺幸重

米軍の慶良間列島上陸日時(琉球新報「沖縄戦新聞」より)

【LapizOnline】沖縄島の西方約20~40kmに浮かぶ慶良間(けらま)列島の西側の島々は座間味村(ざまみそん)に属し、座間味諸島とも呼ばれます。その中でも西側に位置するのが無人の屋嘉比島(やかびじま)で、学生時代に探検部だった私は1973(昭和43)年の夏、「無人島居住実験」と称して男二人で1ヵ月間テント生活をした島です。第二次世界大戦までは銅山として栄え、沖縄戦では米軍が上陸して凄惨な強制集団死(集団自決)事件が起きた島ですが、当時の私はそのことを知らず、あとになって恥ずかしい思いをしました。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その145《屋嘉比島》渡辺幸重” の続きを読む

現代時評《岸田・時代錯誤首相の脱落》井上脩身

【609studio】岸田文雄首相は14日、自民党の総裁選に立候補しないことを表明した。私は3年前の自民党総裁選で、岸田氏が「令和版所得倍増計画」を公約に掲げて当選したときから「時代錯誤首相」だと考えていた。はたして「なにをやりたいのかわからない」「やりたいことのない政治家」などと、政治評論家らから酷評されることとなった。現在の日本がどういう状態なのかを適格に分析できない首相であれば、やることなすことすべてがちぐはぐになり、揚げ句の果て、首相の座を投げ出すのは当然であろう。 “現代時評《岸田・時代錯誤首相の脱落》井上脩身” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 

【609studio】ここであらためて地図を広げてみたい。サハリンと北海道の稚内とは宗谷海峡を挟んで50キロにも満たない。ただユジノサハリンスクと稚内との距離は190キロほどある。戦前連絡船で8時間ほどかかったという。冷戦時代にその距離を飛んでいたのは渡り鳥かラジオ放送の電波だった。NHK稚内中波中継局から発せられるラジオ放送は宗谷地方はもとよりユジノサハリンスクまで届いていた。筆者もユジノサハリンスクで聞いたことがあるが、鮮明に聞くことができる。 “Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 02》片山通夫 ” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 01》片山通夫 

【609studio】朝鮮民謡に「アリラン」と言う歌がある。朝鮮半島全域で歌われている。
「アリラン アリラン アラリヨ・・・」と日本でもよく知られているあの歌である。聞けば「アリラン峠」とはどこにあるのかはわからないと言う。きっとどこの地方ででもマッチするように特定の場所では無いという意味なのかもしれない。 “Webサハリン物語《episode#12 アリランの歌 01》片山通夫 ” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫

板門店

【609studio】サハリンでも残留朝鮮人はソ連当局を相手に「祖国へ返せ」とデモを仕掛ける人もいた。筆者がインタビューした女性も息子夫婦とその子供を北朝鮮に送られてしまったと嘆く。息子が堅くなに「祖国韓国へ返せ」と当局に訴え出たため、業を煮やした当局は「そんなに帰りたいのなら」と船に乗り込ませた。 “Webサハリン物語《episode#11 サハリンの朝鮮人#02》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫

 

ユジノサハリンスクで

【609studio】いわゆる「鉄のカーテン」の向こう側の実態はなかなか把握できない。それは取材し始めた頃から感じていた。サハリン州は「閉鎖都市」だった。シベリアで外国人が行けたのは、ナホトカやハバロフスクなどごく少数で外国人立ち入り禁止だった。 “Webサハリン物語《episode#10 サハリンの朝鮮人#01》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫

東京新聞より

【609studio】米ソ両国は、いや世界は第二次世界大戦後、いわゆる冷戦時代を迎える。鉄のカーテンと呼ばれた、スターリン時代のソ連は朝鮮半島に今も残る傷跡を残している。それは1950年6月25日の北朝鮮軍が韓国に攻め込んで始まった朝鮮戦争に代表される。戦争休戦に3年かかった。この間サハリンでは帰国できなかった朝鮮人たちは炭鉱、林業、漁業など第一次産業に従事していた。ロシア語のできない彼らに指導でいたのは中央アジアの朝鮮系ロシア人の通訳だった。 “Webサハリン物語《episode#9 中央アジアの朝鮮人》片山通夫” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重

ノッカマップで行われるイチャルパの様子(根室市公式サイトより

【LapizOnline】北方四島の一つ、国後島(くなしりとう)と根室海峡を挟んで相対する北海道・知床半島の東南側の目梨(めなし)地方で1789(寛政元)年、アイヌ民族が松前藩に対して蜂起する事件「クナシリ・メナシ(国後・目梨)の戦い」が起きました。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」「寛政蝦夷の乱」「国後騒動」「寛政元年蝦夷騒擾」などと称され,近代以降は「寛政元年の蝦夷騒乱」「寛政の乱」「クナシリ・メナシの乱」「クナシリ・メナシ地方アイヌの蜂起」などとも呼ばれます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その144《クナシリ・メナシの戦い》渡辺幸重” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重

ミサイルが配備された陸上自衛隊石垣駐屯地

2018(平成30)年10月31日、沖縄県石垣市で石垣市自治基本条例に基づく住民投票を直接請求する市民の署名活動が始まりました。内容は、石垣島の於茂登岳(おもとだけ)麓に陸上自衛隊駐屯地を建設するという計画への賛成・反対の市民の意思をはっきりさせる住民投票の実施を石垣市に求めるものです。「石垣市住民投票を求める会」は11月30日までの1ヶ月間の署名期間内に住民投票請求の要件である有権者の4分の1を超える1万4,263筆の署名を集めました。これは有権者の約37%にあたります。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その143《住民投票》渡辺幸重” の続きを読む

Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫

戦後樺太で発行された「新生命」紙

【609studio】樺太全土を手中にしたソ連軍は当然のことながら「軍政」を敷いた。と言っても樺太ではまだ30万人ほどの日本人と一説には6万人ほどの朝鮮人が住んでいる。彼らにソ連の何たるかや軍政で世の中が日本時代とどのように変わるかを知らしめなければならない。 “Webサハリン物語《episode#8 ソ連の軍政時代と新聞》片山通夫” の続きを読む

お断りとお詫び

いつもお世話になっております。
筆者がコロナに感染したようで、
しばらく更新を停止いたします。

ご理解いただきますようお願いいたします

Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫

京城(けいじょう・現ソウル)にあった朝鮮総督府

【609studio】話は前後するが、1904年、日本とロシアとの間で 日露戦争が始まった。戦いを有利に進めた日本は、講和条約であるポーツマス条約において、ロシアから 朝鮮半島における優越権を獲得した。朝鮮は1897年に清から独立しており、国名は 大韓帝国 (韓国)に変わっていた。 “Webサハリン物語《episode #5 韓国併合》片山通夫” の続きを読む

Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫

若かった時の岡田嘉子

【609studio】戦前、稚内港と大泊港に「稚泊(ちはく)連絡船」が通っていた。ちなみにこの航路は210.0 km (130.5 mi)で8時間の航海だったという。この航路で樺太に渡った有名人に「銀河鉄道の夜」の構想を樺太で練ったと言われている宮澤賢治や、樺太から雪の北緯50度線を越えてソ連に亡命した岡田嘉子がいた。恋の逃避行説で有名な事件だった。
稚内港の北防波堤は吹き付ける吹雪を避けるための立派なドーム型の桟橋が残されている。このドーム防波堤に現在はないが稚内桟橋駅があった。樺太へ渡る人々はこの駅まで宗谷本線に乗ってきた。また大泊の桟橋は現在も使われている。 “Webサハリン物語《episode #4 稚泊連絡船》片山通夫” の続きを読む

ごあいさつ

毎日暑い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか。
東北地方では豪雨被害でお亡くなりになったり、水害などの被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
皆様におかれましてはご自愛されるよう。

8月7日は立秋だとか。
たとえ目に見えなくとも「風の音」に秋のさわやかさを感じたいものです。

Photo & Journal 609studio