Webサハリン物語《 episode#1 チェーホフのサハリン》片山通夫

チェーホフの肖像切手

【609studio】サハリンは複雑な歴史を持つ。サハリンは北海道の北端。稚内市と宗谷海峡を隔てて南北に長い形をした島を指す。サハリン島と言えばロシアの作家、アントン・チェーホフのルポルージュが有名で、本書は1890年に3カ月かけて取材した流刑の島サハリンの優れたルポルタージュである。帝政ロシア時代、チェーホフは流刑の地だったサハリンに赴き3カ月の間綿密な調査を行った。是非一度、読者の皆さんにもお読みいただきたい。
サハリン島 上 岩波文庫 赤622-7  https://x.gd/Th7m01904年、日本はロシアと戦争を始めた。日露戦争である。翌1905年に日本が勝利した。その結果、サハリン島の北緯50度線以南を日本が統治することとなった。以後1945年までサハリン南部は樺太と呼ばれていて日本の統治下にあった。樺太の地名の語源は定かではない。一説にはアイヌ語でこの島を「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ」(kamuy kar put ya mosir) と呼んだ事に由来すると言う。これはアイヌ語で「神が河口に造った島」を意味し、黒竜江(アムール川)の河口から見てその先に位置することからこのように呼ばれたとされる。尚、樺太アイヌ語では、「陸地の国土」を意味するヤンケモシリと呼ばれ、 北海道アイヌ語ではカラプト Karapto と呼ばれる。(この稿ウイキペディア)
それまでは「北蝦夷地」と呼ばれていたはずである。

余談だが、冬になると網走や紋別、知床、ウトロ、羅臼などで見られる、流氷のふるさとはアムール川(黒竜江)の淡水が大量にオホーツク海に流れ込んで、塩分が少なくなり凍って流氷となるらしい。その凍った氷がオホーツク海を風に吹かれて漂い網走や紋別など北海道沿岸に流れてくる。私たちはそのアムール川を下って長い旅をして来た水の凍ったものを見ているわけである。ちなみにアムール川はモンゴル高原が源で中国とロシアの国境ともなり、その後ハバロフスクからオホーツクにそそぐ。その全長は4416Km。東京を起点とすると直線距離でソウル1157Km、ビョンヤン1290Km、北京2100Km、ウランバートル3014Km、プノンペン4405Kmとなる。つまり相当長い川だ。大河と言える。
モンゴルの高原に生まれた水は中国へ入り黒竜江となって黒竜江省を流れロシアの国境を越えてハバロフスクからシベリアを横断してアムール川と名を変えてとなってニコラエフスク=ナ=アムレでオホーツクに注ぐ。 不定期・連載