連載コラム・日本の島できごと事典 その142《黒曜石》渡辺幸重

 【LapizOnline】黒曜石(こくようせき)はケイ酸を主成分とし、磨くと美しい光沢を持つ火山岩で、硬度が高く、刃物を作るのに適していることから世界各地で先史時代からナイフや石器として広く使用されてきました。日本列島でも旧石器時代から黒曜石製の刃物や矢尻、鏃、装飾品などが作られています。

黒曜石の原産地は限られており、主要な産地は北海道の置戸や白滝、長野県の霧ヶ峰、伊豆諸島の神津島(こうづしま)・恩馳島(おんばせじま)、佐賀県の腰岳などですが、黒曜石や黒曜石製石器は全国各地の遺跡から発掘されており、産地と遺跡との距離が200km以上離れた事例もあります。

日本の主な黒曜石原産地

たとえば、長野県南佐久郡の旧石器時代の遺跡・矢出川(やでがわ)遺跡から出土した石器は太平洋に浮かぶ神津島産の黒曜石から作られたことがわかっています。神津島の黒曜石採取は後期旧石器時代から縄文時代あるいは弥生時代中頃まで続いたといわれ、その黒曜石や石器は南関東や東海地方まで広く大量に流布しています。当時、丸木舟による航海が始まっていたと思われますが、私たちの想像以上に広い地域で強い社会的関係が築かれていたようです。かなりの危険があったはずなのに海を越えて遠く離れた地域間でどのような人たちのどのような交流があったのでしょうか。いまだに深い謎のままです。

神津島は東京都心から南南西約170km、伊豆半島・下田港の南南東約51kmに位置する白い流紋岩からなる火山島で、その西方約4kmに恩馳島と呼ばれる無人の島・岩礁群があります。当時は最終氷河期の最寒冷期に当たり、海面が100mほど低下していたため神津島と恩馳島はつながっており、丘の上でも黒曜石を採取できる状況でした。特に、恩馳島では斑晶鉱物が少ない良質な黒曜石を産出していました。

神津島産の黒曜石は搬出拠点として伊豆半島の段間遺跡や三宅島の大里・大里東遺跡を経由して関東・東海地方へ運ばれたようです。古代の人々が目的を持って小さな舟で危険を伴う海洋にこぎ出し、交易を行っていたことは“海の民”の存在を思わされます。何が人々をそうさせたのか--人々の勇気とともに壮大なロマンを感じる出来事です。