LAPIZ STORY《出雲の神々そして鬼が行く道002》片山通夫

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【LapizOnline】神在月
今一つスケールの大きい話がある。出雲の国には「神在月」と言う月がある。出雲以外の国では「神無月」と呼ぶ。旧暦10月。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる月を指す。・・・と言うことは、10月生まれで大阪(出雲ではない)生まれのボクなんぞ、神様が留守の間に生まれたと言うことだ。神無月生まれのボクは神様のいない月の子供だったわけである。特に信心深いわけではないが、神様の留守中に生まれるとなると、いささか微妙な気分になる。しかしよくしたもので、「留守神」と呼ばれる留守番の神々が全国各地におられたという。簡単に説明すると、恵比寿(えびす)神、金毘羅(こんぴら)神、家の竈(かまど)や土地に根づいた「荒神(こうじん/あらがみ)」たちが留守番してくれているようだ。そういえばボクの家にも竈あり、薪で煮炊きしていた。大阪では竈のことを「へっつい」さんと呼んでいた。だから10月の神無月でもよく考えてみれば大丈夫なわけだった。竈の神様がしっかりと留守神として守ってくれていた。・・・はずである。

出雲大社の西、およそ1キロメートルに稲佐の浜がある。夕日が綺麗な浜だ。この浜に弁天島と呼ぶ島がある。古くは「沖御前」といい、遥か沖にあったといわれているが、砂浜が広がって浜伝いに歩いて行けるようになった。まさか隆起したわけでもないとは思うが。神仏習合の時代には弁財天が祀られていた。しかし現在は豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)が祀られているという。この浜だが先に述べた神在月には全国から集まって来られた神々をお迎えする神迎神事(かみむかえしんじ)が行われる。夕刻7時、浜で御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ)が2本、傍らに神々の先導役となる龍蛇神が海に向かって配置され、神事が斎行される。そして神々が滞在される7日間、稲佐の浜を出て、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上宮(かみのみや)」で、縁結びや来年の収穫など諸事について神議りが行われます。ここで神様たちは会議をされるわけである。どこかの国の国会のように会議中居眠りしたりはされない。何しろ国の民の幸せな一年がかかった会議なのだから。会議後は、御宿社(神々が宿泊する宿)となる出雲大社御本殿の両側にある「十九社(じゅうくしゃ)」にお入りになり、ここでも連日お祭りが行われる。

さて7日間の縁結びや来年の収穫など諸事について神議りの後、神様たちは出雲を出立される。夕刻4時、出雲大社境内にある東西の十九社にあった神籬が絹垣に囲まれて拝殿に移動されることになる。拝殿の祭壇に2本の神籬、龍蛇、餅が供えられ祝詞が奏上され、その後、1人の神官が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きつつ「お立ち~、お立ち~」と唱える。この瞬間に神々は神籬を離れ出雲大社を去られたことになる。
出雲大社の神在祭が終わると、斐川町の万九千神社で直会(なおらい・宴会)をされた後、神々はそれぞれの国へお帰りになる。ここでも宴が催される。

所で出雲風土記や記紀に見られるように、文化が発達した国だったと思う。大陸(中国や渤海)や朝鮮半島という文化の先進国が海を隔ててそこにあるわけだ。そして八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が「出雲の国は小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とばかりに、新羅などに綱をひっかけて手繰り寄せた。当然土地だけではなくその土地の文化ももろとも手繰り寄せたのではないか。そういえばアマテラスとスサノオの神話に、高天原を追い出されたスサノオが一度は新羅に降り立ったという話がある。日本書紀・第8段第4の一書には、「高天原を追われたスサノヲは、その子五十猛神(いたけるのかみ)と共に新羅国の曾尸茂梨(そしもり)に天降る」とある。スサノオはその後出雲に渡り、ヤマタノオロチを退治して櫛名田比売(クシナダヒメ)とともに出雲の国を作った。
どうもこの話や、くにびきの話と朝鮮半島や大陸とのつながりが出雲には多いのだ。結局繋がり(交流)が深いと思われる。またスサノオはわが国初の和歌を歌った歌人でもある。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

出雲にお集まりになった神様たちはそれぞれの国へお帰りになるのであるが、それぞれの国ではどのようにお迎えされるのかは定かではない。ただ神在月の間、神様たちはどのような酒を召し上がっていたのか少し興味があるので、今風にインターネットで調べてみた。
出雲はやはり日本酒発祥の地だと自負する。スサノオがヤマタノオロチを退治するのにも、酒が活躍する。かなり度の強い酒だったようだ。つまり蒸留酒の匂いがする。そうでないと、あの大蛇が酔っぱらわない。酒の名は「八塩折(やしおり)の酒」と呼ばれている。何度も何度も水をまぜないで醸したかなり濃厚な酒だった。この点からも出雲は高度な技術を持っていた「王国」と呼ばれる所以である。国譲りをはじめとする出雲にまつわる話は多い。出雲と当時の都・奈良とは官道(今で言う国道か?)で結ばれていたと出雲風土記に書かれている。ヤマト中央政府は出雲王国を無視するわけにも行かず、常に監視の対象だったと考える方が理に適う。

【参考】
民話『信濃には神無月がない』完全版
https://suwa-tabi.jp/news/3844/

日本酒発祥の地 島根  神話に見る悠久なる酒の歴史

日本酒発祥の地 島根県酒造組合
https://shimane-sake.or.jp/

「出雲の神々そして鬼が行く道」は来月に入っても続きます。
お楽しみに!

LapizOnline24夏号Vol.50は完