LAPIZ STORY《出雲の神々そして鬼が行く道 001》片山通夫

イザナミとイザナギ

【LapizOnline】最初にお断りしておきたい。ここに書いた歴史書ともいえないSTORYは単なる筆者の妄想に近い話である。

はじめに

ボクは2022年秋に一冊の写真集を出版した。「Once Upon a Time」と名付けた。そう1960年代から撮り始めた写真でボクの半生の集大成だ。大きなきっかけはあの新型コロナのせいである。2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が我が国で始まったと記憶する。とにかく大騒ぎだったことはよく知られている。そんな中、写真は「現場へ行かなければ撮れない」ものだと固く信じていて困った。いろいろ考えてボクは「段ボール箱4個分のかつて撮ったフィルム」を整理することにした。カビで黒い斑点いっぱいのネガなどを呆然としながら2か月ほどは眺めただけだった。そのうちコロナも収まるだろうと甘い考えで…。しかしご存じのようにそうはならなかった。友人たちと飲みにも行けなかった。仕方がないので、フィルムを整理することにした。先に述べたように半世紀程に渡る期間のフィルムである。ほとんどを捨てたがやはりかなりの数が残った。それからが大変だった。山とあるフィルムを1本1本ライトボックスの上に広げてざっと見る。そして「これは!」と感じたフィルムを別の段ボール箱に放り込む。毎日約2か月程だったか同じことの繰り返しをした。そのあとの仕事が大変だった。ボクのようにずぼらな人間はこの後地獄を見た。カビを落とすという作業だ。ところが簡単には落ちないもので、エチールアルコールのしみ込ませたガーゼでフィルムを擦ったけれど、落ちたカビはわずかだった。アルコールはボクを酔わせた。ラりったのだった。この時点でアルコールで溶かせるという案は断念し、まずデジタル化した。つまり作品となる画像をまず選んで、フィルムスキャナーで読み取ったわけである。その後もう一度取捨選択した画像を写真加工ソフトで修正を加えた。
この時点でほぼ一年かかったのではないかと記憶する。
しかし世間ではまだまだコロナウイルスが暴れまくっていた。電車に乗るのも「危険」な常態だったので、事務所を引き上げることにし、自宅で作業をすすめることにした。
そうしてようやく写真集”Once Upon a Time”にまとめる仕事をデザイナーにお願いでき刷り上がった。
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神々の出雲

さて貧乏性のボクはやはりカメラをポケットにウロウロしている。サハリンへは「ロシアがウクライナに侵攻してから」サハリンへは行けなくなった。そして昔から気になっていた丹波の国に通っている。具体的に言うと出雲(島根県)丹波篠山(兵庫県)、福知山(京都府)の辺りだ。

ボクは出雲の国と丹波の国になぜか惹かれてきた。今はもうない「急行三瓶(さんべ)」と言う列車が夜の大阪駅を出発するのを良く眺めていた。三瓶は大阪~浜田・大社という区間設定で1961年10月から走っていたらしい。勿論三瓶は出雲の国の三瓶山から名付けられたものだった。そしてこの山は山口県にある阿武火山群(あぶかざんぐん)とともに中国地方に存在する二つの活火山のひとつである。
「急行三瓶」は大阪を出ると尼崎から福知山線に入り篠山口という駅に着く。この篠山口からバスに乗り換えて篠山に向かうと城下町篠山である。またこの町はデカンショ節で名高い。寄り道はともかく篠山口を出た急行三瓶は福知山で京都から延びる山陰線に合流し、鳥取、米子、松江を経て出雲に到着したらしい。「らしい」と言うのは、残念ながらボクはこの列車に乗ったことがないからだ。

三瓶山のことを書く。出雲には神代の時代から出雲大社があり、この山も勿論神話に出てくる。何しろ神様の時代の話だからスケールは大きい。少し引用してみる。

昔々、出雲の創造神、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は出雲の国を見渡して「この国は、細長い布のように小さい国だ。どこかの国を縫いつけて大きくしよう」とお思いになりました。(なんて乱暴な話だ!) そこで、どこかに余分な土地はないかと海の向こうを眺めると、新羅(しらぎ)という国に余った土地がありました。ミコトは、幅の広い大きな鋤(すき)を使い、大きな魚を突き刺すように、ぐさりと土地に打ち込み、その魚の身を裂いて切り分けるように土地を掘り起こし、切り離しました。
そして三つ編みにした丈夫な綱をかけて、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら力一杯引っ張ると、その土地は川船がそろりそろりと動くようにゆっくりと動いてきて出雲の国にくっつきました。こうして合わさった国は、杵築(きづき)のみさき【出雲市小津町から日御碕まで】になりました。その時、引っ張った綱をかけた杭が佐比売山【さひめやま、現在の三瓶山(さんべさん)で、その綱は薗の長浜になりました。

ざっとこのように三瓶山は他所から土地を引っ張った綱や網をかける杭だったという話が載っている。ヤマトの神話に比べてスケールが大きい。そしてこれらの神話に出てくる舞台は、現在の地形や地名と合致する。この話の舞台となる出雲地方を地図で確認すると、宍道湖・中海の南側に出雲本土があり、北側には東西に細長い島根半島があり、この島根半島が四つの大きな地域に分かれていることに気づく。つまり必ずしも嘘八百を並べたのが神話だとは言えないのではないかとボクは思うのだ。こうして他国から出雲に土地を引っ張ってこの国の面積を大きくすることに成功した神様は酒を飲み、歌いそして舞ったことだろう。およそ我が国の神々はアマテラスが天の岩屋に隠れた時代から酒と歌と踊りが必須だったと記憶する。この伝統は高天原から当然のごとく葦原中国(あしはらのなかつくに)に、そして我らが出雲にも伝わったはずである。「お神酒上らぬ神はない」とばかりに、我が国では酒や歌、そして舞は「宴(うたげ)」について回る。これらの話は出雲風土記や古事記そして日本書記などに書かれている。

出雲の国は日本海に面した国だ。山陰と呼ばれているように、山陽の岡山や広島とは違って冬は厳しい気候である。しかしながら朝鮮半島や7世紀末に中国東北部を中心に建国されたツングース系民族の国、渤海(渤海)に海を隔てて近いがゆえに海外から知識や思想とともに技術をとり入れる度量も欲もあっただろう。そのあたりが瀬戸内海に面して国内の力関係に目を向けた国々とは違った考え方や技術が出雲にはあったのではないか。奥出雲に今も伝わる「たたら」という製鉄技術もそうであろう。
このことは「ツングース文化と日本文化との比較研究」という論文に詳しい。
file:///C:/Users/mk/Downloads/SDR60005.pdf

この頃続く