北国街道・木之本にて《木之本宿》片山通夫

 

【LapizOnline】大阪から、JR西日本の新快速に乗ることにした。この3月には北陸新幹線が開通したとかで大阪から金沢へ行くのには、戦前シベリアへの航路があった敦賀と言う若狭湾にある港町を通る特急電車サンダーバードが頻繁に走っていた。そしてその特急は湖西線と言う京都・山科から飛鳥時代に遷都された大津京を通る線を走り、近江塩津で米原からくる北陸線と出会う。そして山を越えると敦賀である。3月16日以降新幹線はその敦賀まで来ていて、大阪から来るサンダーバードは敦賀止まりとなった。乗客は金沢へ行こうとすれば敦賀で乗り換えなくてはならない。例によってJRは敦賀から福井を通って金沢まではものすごく不便になった。これでは高速道路を通る高速バスの便が発達し、今までの北陸本線は近い将来廃線の憂き目にあう危険がある。もしくは第三セクター鉄道になり、赤字本線化するだろう。

余計なことを長々と書いてしまった。筆者は大阪から近江塩津行の新快速に乗った。京都を出て山科、大津、大河ドラマの石山など琵琶湖線を走る。電車はそのまま彦根、米原、長浜を通って古戦場の姉川を渡るともうそこは木之本である。木之本は北国街道と言う街道沿いで、北国街道は彦根辺りの鳥居本を通る中山道との分岐点から、佐渡の金銀を江戸へ運ぶ事を目的に、中山道の追分宿(軽井沢)から上越、出雲崎に至り佐渡へと渡った。新潟湊が発展すると、街道が出雲崎から新潟まで延長され、岩室や巻を通る街道も北国街道と称されるようになった。琵琶湖の東側を通る北国街道は木之本宿や余呉湖のほとりを通って若狭の国・敦賀や越前に向かう。木ノ本宿には本陣とともに、木之本地蔵院という寺院が栄えた門前町でもあった。当寺は時宗の寺院で公式の寺号は浄信寺であるが、一般には「木之本地蔵」「木之本地蔵院」の名で親しまれている。山号は長祈山。本尊は地蔵菩薩。境内には秘仏本尊の写しである高さ約6メートルの地蔵菩薩大銅像があり、これは日本三大地蔵の一つとされている。また眼の仏さまとして知られ境内では眼鏡供養が盛ん。
木之本には牛馬市が立っていたようで、山之内一豊の妻・千代の逸話が残っているが真贋の程は不明だ。年に2回6月と10月に開かれていた牛馬市は、彦根藩領のみならず尾張・伊勢・美濃からも商人が集まった。また牛馬市は明治時代まで続いたが北前船と同じく汽船や鉄道、自動車の発達で滅びゆく運命をたどった。
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