「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれるニシンはかつて、春先に群れを成して北海道沿岸に押し寄せ、北海道に繁栄をもたらしました。日本海に面する渡島(おしま)半島南西部の江差は、江戸時代から明治時代にかけてニシン漁とその加工品の交易で栄え、その繁栄振りは「江差の五月(旧暦)は江戸にもない」と謳われるほどでした。その伝統と文化を伝える町並みや芸能、祭礼・年中行事などは2017(平成29)年度に日本遺産「江差の五月は江戸にもない─ニシンの繁栄が息づく町─」の構成文化財として認定を受けています。
さて、江差がニシン漁の本拠地になったのはなぜでしょうか。ニシンの漁場が近かったのは当然のことですが、江差沖に浮かぶ鴎(かもめ)島が天然の防波堤として波風を防ぐ位置にあったことから松前藩が江差をニシン加工品などを扱う藩指定の交易港としたようです。江差が江戸を凌ぐ繁栄を果たしたのは面積0.3?・周囲3㎞と小さい鴎島の存在が大きいのです。
早春に行われるニシン漁のあとのニシンの出荷時期には交易のために全国から松前船が集まりました。「江差の五月は江戸にもない」と謳われるのはこの時期のことです。宝暦年間(1751-1764)には年間3,000隻もの北前船が鴎島に出入りしたということです。
鴎島の周りには北前船係留の杭跡が残り、島内には1876(明治9)年に掘られた北前船飲用井戸(「村上の井戸」)もあります。松前船の乗員たちが航海安全を祈願した厳島神社が祀られ、毎年7月に「江差かもめ島まつり」が行われます。厳島神社の例大祭も催され、島に隣接する瓶子(へいし)岩には約500kgの注連縄(しめなわ)が飾られます。義経伝説が残る鴎島には弁慶の足跡と伝えられる窪みもあり、江差町の中心地と防波堤でつながっている鴎島は観光の対象にもなっています。
江差は元々寒村だったのですが、そこにニシンがやってくるようになった由来を語る「折居伝説」が伝わっています。
500年ほど前江差に老婆(姥)がやってきて草庵を結びましたが、予言がよく当たり「折居様」と呼ばれるようになりました。江差の浜で一匹の魚も捕れない年、老婆の祈りによるお告げによってもたらされた瓶子(酒器の一種)を海中に投げ入れるとニシンの群れが押し寄せてきました。老婆の祈りによって網ももたらされました。老婆が残した一個の神像が祀られて現在鴎島の対岸にある姥神(うばがみ)大神宮になったということです。姥神大神宮は北海道最古の神社で、毎年8月には道内最古の祭り「姥神大神宮渡御祭」が行われます。瓶子岩は、海中に投げ入れられた瓶子がやがて石となって海上に現れたものといわれています。
なお、アイヌの老夫婦が神のお告げを受けてニシンが押し寄せ、老翁を祀ったのが鴎島の恵比須堂、老婆を祀ったのが姥神大神宮になったとする伝承もあります。