能登地震で、もっとも問題になるのは「孤立」と言うキーワードで表されるのではないか。それは地震によって道路の寸断で脱出にも救援にも行くことができないケースのもならず、限界集落化した地域の情報網の寸断にも表れている。となりの家までの道路委の寸断や自宅の崩壊により避難出来なくなったケースも含まれる。
一方地震により寸断された道路の状況把握もそれ自体困難になる危険もあり、原発立地(悪いことに原発は海辺にあり、人里離れている)からの避難には二重の問題が起こりうる。一見綺麗に舗装された道路でも、今回の能登半島地震に見られるように、決して安全ではない。むしろ日頃からメンテナンスなどを過疎地がゆえに安全の確認がおろそかになっているケースもあるかもしれない。
一般的に我が国は政府を始め地方自治体も、使う頻度の低いものに対してはどうしても予算を削る傾向がある。
この地震であらわになってのが先に述べた避難路もしくは救出に向かうための道路の寸断だ。机上の空論化している避難路の策定は役に立たないことが立証された。
これは《原発立地の町長が姿勢一転「安全性アピールは難しい」と再稼働に慎重発言 震度7の石川・志賀 稲岡健太郎氏》https://www.tokyo-np.co.jp/article/307209 に詳しい。
実際地震列島と言われる我が国では「安全な地域」は残念ながらないに等しい。筆界どうも既に大きな地震を経験している。東北もしかり。東日本大震災と言う広域に被害をもたらした地震は津波を引き起こし、福島原発を壊滅に追い込んだ。この事故で東京電力と政府は処理水と言う名の汚染水を海に垂れ流している。しかしそれがどのくらいの総量なのか政府も東京電力も示せていない。今のところ半ば永遠に流さざるを得ないようだ。