着衣が真正の証拠か捏造かで争われている袴田事件の再審裁判で、検察側は11月20日の第3回公判で、「(捏造というのは)現実性が乏しい空想上の話」と強調。一方、弁護側は袴田巌さんが犯行に使ったとされるクリ小刀について、「遺体の傷と合致しない」と述べ、真実の凶器でない疑いがあることを示した。事件発生から1年2カ月後、袴田さんが起訴されてすでに裁判が始まったなか、突然、5点の着衣が発見されるという不自然さにもかかわらず、検察側は「犯行後みそタンクに隠した」と主張してきた。その通りだとすれば、犯人はなぜ凶器もいっしょに隠さなかったのであろうか。4人も殺した重大かつ決定的証拠であるクリ小刀(刃わたり12センチ)を、犯人は「これでやりました」と言わんばかりに現場に置いてきたというのである。真犯人(なお生きているとして)にすれば、これこそ非現実的な空想話であろう。
1966年6月、静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務宅で、一家4人が刺殺された事件で、犯人とされた住み込み従業員の袴田さんは「パジャマを着てやった」と自供。クリ小刀は被害者の一人のそばにあったもので、袴田さんは「沼津で買った」と供述、犯行凶器とされた。
クリ小刀は刃が鋭角三角形になっており、柄にはツバがない。みそ工場では、木製のタルを修理するときなどに使用するといい、専務宅にあることは不自然ではない。私が中学生のころ、友人は工作にクリ小刀を使っていた。そのようなもので、4人を15~20分の間に次々に刺殺することが可能であろうか。
山本徹美『袴田事件――一家四人強盗殺人・放火事件の謎』(悠思社)によると、専務は胸など15カ所に、専務夫人は背中など7カ所に、次女は胸など10カ所に、長男は胸など6カ所に、それぞれ刺されたり切られた傷があった。長男以外の3人は防御創がなかったという。山本氏は「専務は右半身を中心に、夫人は背中、次女は胸に、長男は右上体に集中して傷がある」としたうえで、「彼らが自由に逃げ回っていたら、傷跡が一部分に集中するのは不自然」と指摘する。長男以外に防御創がないことと併せて考えると、一家は隣に寝ている者が襲われているのに、逃げようともしなかったことを示している。要するに逃げる間もなく刺し殺されたのだ。複数犯人による仕業とみるほかない。もし単独犯の犯人が、刃が血でぬるぬる状のクリ小刀で実行したなら、もはや神業である。
すでに述べたように、検察側の主張通りなら、犯人は返り血をあびたズボン、ステテコ、シャツ、スポーツシャツ、パンツの5点をみそタンクに隠した。パンツまで隠したのだから犯人は着替えの着衣も用意していたはずだ。用意周到な犯人がクリ小刀を現場に捨てておくという不用意なことをするだろうか。
繰り返すが、犯行着衣を隠すのは、犯罪証拠を消すため以外に理由はない。つまり犯人は堂々と名乗り出る意志が全くなかったことを意味する。そうした犯人が凶器を現場に置いておくということは絶対にあり得ない。
1949年、弘前大学の教授夫人が殺された弘前事件では、犯人とされたNさんは「凶器のナイフは捨てた」と自供。懲役15年の判決確定後に名乗り出た真犯人の記憶通り、凶器が古井戸で見つかり、Nさんは再審無罪に。1950年、香川県財田村(現財田町)で一人暮らしの男性が30カ所もメッタ切りされて殺された財田川事件では、逮捕されたTさんは「刺し身包丁を財田川に投げた」と供述したが発見されなかった。再審請求審で裁判官が「財田川よ、心あれば真実を教えてほしい」と述べて請求を棄却した(後に再審無罪)。1953年に起きた徳島ラジオ商事件では、住み込み店員が「刺し身包丁を(犯人とされた)Fさんに頼まれ川に捨てた」と偽証。凶器は見つからなかったが、Fさんの懲役13年が確定。Fさんは死後、再審で無罪になった。
以上の例に見られるように、殺人事件では犯人が凶器を捨てるのが通例であることから、捜査員は逮捕した被疑者に凶器のありかを追及。誤認逮捕された被疑者はでたらめの自供をするので、当然のことながら凶器は発見されない。袴田事件では、現場にクリ小刀があったのをこれ幸いと捜査当局は凶器に仕立て上げたのだ。「凶器になり得る
との鑑定を得たこともあり、検察側は5点の着衣が出現したさいも、新たに凶器を作り出すことはしなかったのであろう。
再審請求審から再審に至る袴田事件の裁判経過をみると、すでに述べたように5点の着衣の証拠価値が争点となり、凶器には焦点が当てられなかった。しかし、長男の左手には、甲の側も掌側も傷幅が1・5センチと同じ貫通創があることから、「クリ小刀なら幅が異なるはず」と、クリ小刀凶器説の矛盾点が指摘されていた。今回、弁護側はこうした点をとらえて、検察側の主張を覆そうとしているのであろう。
クリ小刀で4人を瞬時に刺し殺すのは神業だと述べた。元プロボクサーの袴田さんがクリ小刀を器用に使いこなすことはまず不可能だ。にもかかわらず検察側は何ら証拠を示すことなく神業を行ったというのである。これを現実性の乏しい空想と言わずして何といおうか。