ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
荻原朔太郎の詩である。僕もこの作者のようにしきりに旅をしたかった。暖かくなればまだ見ぬ北海道の宗谷という最果ての町に行きたかった。寒くなれば雪が横殴りに降るという青森の竜飛という岬を見にゆきたかった。今にも雪の重みでつぶれそうになる屋根の下でギシギシと鳴る音を聞きながら汽車を待っていたかった。
そんな時いつもボクは距離計連動カメラを上皇陛下の写真のように首から下げている。