ロシアのプーチン大統領は9月30日、ウクライナの東部・南部の4州をロシア領に編入すると宣言した。強奪というほかないロシアによるウクライナ領土の併合に対し、ウクライナは反転攻勢を展開しロシア軍を猛攻、ウクライナ戦争は新た局面に入った。岸田首相は10月3日の所信表明演説で「力による一方的な現状変更は許されない」と非難したが、90年前の1932年、軍事占領した中国東北部の満州に傀儡国家である満州国を成立させたのはわが国である。ウクライナ4州併合を満州国建国と重ね合わせると、ウクライナ戦争の今後をうらなう、あるキーワードがうかびあがる。「Iの国」である。 “現代時評《満州国建国と重なるウクライナ4州併合》井上脩身” の続きを読む
好評発売中!《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》編集室
2022年10月23日発売開始!
60年代から撮り続けたドキュメンタリー220点あまりを収録した写真集。1960年代のキューバ、「北送」と呼ばれた在日朝鮮人の祖国帰還の新潟港。ブルガリア、チェコ、ルーマニアなど東欧諸国の民主化や廃墟となったチョルノブイリ、作者のライフワークとなったサハリンの戦後問題。そして時代を映す日本の折々の風景をモノクロームで描いた作品集。
全286頁。モノクローム写真239点を収録。
本体価格 3600円(税込)+送料(370円)
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近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身
「片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム」 003
祖国への帰還の夢とおく
米ソ冷戦はヤルタ会談に始まった、と述べた。その合意に基づくヤルタ協定で、樺太南部はソ連に返還されることとされた。この会談の3カ月後、同じアメリカ、イギリス、ソ連の3カ国によってポツダム会議が開かれ、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏。1951年のサンフランシスコ講和条約で南樺太の全ての権利を放棄することになった。
南樺太は日露戦争後の1905年のポーツマス条約によって日本の領土となり、1931年には、漁業、林業、製紙業を中心に日本人40万6557人が移住していた。 “近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身” の続きを読む
現代時評《日本は北朝鮮とどのようなつきあい方をして来たか?》片山通夫
最近朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)からのミサイル発射が多くなった。一日に複数のミサイルが発射されることもある。いったい北朝鮮、もしくは東アジアで何が起こっているのかはうかがい知ることは困難だ。 “現代時評《日本は北朝鮮とどのようなつきあい方をして来たか?》片山通夫” の続きを読む
近刊情報《片山通夫写真集ONCE UPON A TIME 002》井上脩身
片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム 002
陽気さの奥の翳を捉えるカメラアイ
キューバの近現代の歴史を概観しておこう。
スペインの支配下にあったキューバが1902年に独立した後、製糖産業などにアメリカ資本が多数進出。1952年、バティスタがクーデターで政権を奪取すると、アメリカのキューバ支配がいっそう進んだ。バティスタ独裁政治に反旗を掲げたカストロは、メキシコに亡命中にゲバラに出会って後の1956年にキューバに上陸、2年余りのゲリラ闘争のすえ、1959年1月、バティスタを国外に追放、革命政権を樹立した。 “近刊情報《片山通夫写真集ONCE UPON A TIME 002》井上脩身” の続きを読む
近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME 》井上脩身
「片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム」001
片山通夫さんは私と同い年の1944年生まれである。高校に入学したのが1960年、いわゆる安保の年だ。安保条約はつまるところ東西冷戦のなか、わが国がアメリカの核の傘に入ることであったといえるだろう。核戦争の恐れは1962年のキューバ危機により具体的恐怖となり、人類は核の均衡という緊張状態のなかで息をつめて生きていくことになる。こうした時代背景をうけて、若き日の片山さんはカメラを手にキューバにとび、米ソ対立の最前線にあるカリブの国の人たちの実相に迫った。そこで磨いたカメラアイはやがて日本の敗戦でサハリンに取り残された朝鮮人に向ける。深いしわの奥ににじむ誇りと尊厳。片山さんはレンズを通して物言わぬ辺境の地の人たちに寄り添う。そこに私はフォトジャーナリストとしての鋭い時代感覚と温もりある人間性をみる。 “近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME 》井上脩身” の続きを読む
自著紹介
写真集・著書
「Image Of Saints」91年刊
「セピア色の世界」96年刊
「北の大地に生きる」96年刊
「サハリン物語」2001年刊
2001年刊苦難の人生をたどった朝鮮人たちの証言
日本人は墓も帰国した-。サハリンに残る戦争の傷跡は、21世紀の今も告発を続けている。戦後、サハリンに取り残された朝鮮人の悲痛な声を丹念に取材した証言集。日韓両国の真の友好を問うサハリン韓人の物語。
写真集「サハリン」2005年刊
「追跡!あるサハリン残留朝鮮人の生涯」2010年刊
日本統治下の朝鮮半島から樺太の炭坑への出稼ぎを余儀なくされた主人公は、やっと家族と暮らせるようになった樺太から「急速転換」で九州へ移送される。掘進夫としてわき目もふらず働くなか日本は敗戦。予想外の事態に直面した主人公は、ともに九州の炭坑で働いていた長男を朝鮮半島の故郷に帰し、戦後の混乱のなかを仲間と樺太へ向かう。「逆密航」を経てやっと家族と再会した主人公は、戦後のサハリンで世を去る。
写真集「サハリン逍遥」2017年刊
サハリン在住コリアンの取材で15年間島に通った写真家が自然や人びとの暮らしをおりにふれ撮りためた素顔のサハリン。 かつての日露国境の島・樺太の長い冬と短い夏、そして歴史を感じさせるモノクロ約100カット。
さりげないアプローチでとらえた被写体にユーモラスな文章をそえて。
お知らせ 片山通夫写真集《ONCE UPON a TIME》近日刊行!
現代時評《北朝鮮がミサイル発射した。》片山通夫
北朝鮮がミサイルを撃った。最高高度は1000㎞、飛距離は4600㎞。日本の「上空」をはるかに超えて、宇宙空間を飛んだようだ。高度400㎞では、国際宇宙ステーション(ISS)が回っている。その2倍以上の高度となるととてもじゃないけど「日本上空」ではなく「宇宙空間」としか言いようがない。
それを「日本上空を飛んだ」という表現はかなり無理があるというか、まったくの「為にする」嘘だ。ここでかなりの誤解があるようなので北朝鮮が発射する毎に日本国内で説明される「語句」を調べてみた。 “現代時評《北朝鮮がミサイル発射した。》片山通夫” の続きを読む
現代時評《それでも戦争しますか?》山梨良平
安倍国葬が終わった。世論調査で見れば国葬反対が多くを占めた珍しい現象だった。端的に言えばかなり無理をした国葬だった。安部氏が政権を担っていた時代、我が国はひたすら戦争に向かっていた。
9月10日の日刊ゲンダイに作曲家が書かれた「三枝成彰の中高年革命」と言うコラムに「日本はあらためて戦争放棄を宣言すべきだ」と書かれていたのが目に留まった。そこに書かれていた内容がほとんど私の考え方と似ていたので「ふんふん成程」といちいち納得できた。
我々が、日本の所謂タカ派の政治家がやれ防衛だ、防衛費の増強だ、いや敵地先制攻撃はどうだ?挙句に核の共有だなどと一見勇ましい。とにかく攻めることに力点を置いている。仮想敵国は北朝鮮であり、中国であり、最近はウクライナに侵攻したロシアもその仲間入りした。 “現代時評《それでも戦争しますか?》山梨良平” の続きを読む