現代時評《プーチン流「非武装中立」の正体》井上脩身

ウクライナに軍事侵攻しているロシアは4月半ばになって戦力を東部に集中、戦闘はいっそう激化している。ロシアのプーチン大統領がウクライナに求めた「非武装」と「中立」で停戦合意できる見通しは立っておらず、戦争の泥沼化は必至である。そもそもプーチン氏が「非武装中立」を言いだしたのはなぜなのか。「非武装中立」は米ソの東西冷戦時代に旧社会党が掲げたスローガンであるが、プーチン大統領の口から出た途端、弱い者いじめの傲慢な言葉に堕す。そこには21世紀を「米露冷戦時代」にしようとのプーチン氏の野望が透けて見える。

わが国における「非武装中立論」は1952(昭和27)年の対日講和条約の締結を前に、旧社会党を中心にまとめあげられた。日米安全保障条約によって米軍に基地を提供することは、ソ連の標的になる危険性が高まることになり、非同盟・中立の立場こそ日本の安全につながる、とするものであった。その根拠は「日本国民は、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との憲法前文と、同9条の「国権の発動たる戦争は永久に放棄する」「陸海空軍その他の戦力は保持しない」との規定に示された「軍隊なき平和主義」である。
後に旧社会党の委員長になる石橋政嗣氏らは、さらに肉付けする形で1959年、積極中立構想を打ち出した。「一切の武力を廃止、軍事条約、軍事ブロックを解消して、平和を追及する」というもので、翌1960年の安保条約改定に伴う「反安保」の国民的うねりのなか、「非武装中立」は革新的意識層から大いに支持された。当時高校1年生だった私の学校ではたびたび校内集会が開かれ、「日本の在り方として、アメリカにもソ連にもつかない中立路線をとるべきだ」との意見に拍手がわいたものである。
安保反対デモが渦巻くなか、安保条約は改定された。安保条約は日米軍事条約にほかならず、自民党政権は「軍事条約解消」の主張を一顧だにしなかったのである。軍事ブロックに関しても、西側のNATO、東側のワルシャワ条約機構は強化されることはあっても、「ブロック解消」という提唱に耳を貸すような状況にはならなかった。
「非武装中立論」は、1994年、自社さ連立政権で首相になった村山富市氏が①自衛隊合憲②日米安保条約堅持③非武装中立の政策的終焉――などを表明したことで旧社会党のスローガン倒れに終わり、同党の党勢も急速に衰えていく。
一方、ソ連・東欧のワルシャワ条約機構もソ連の弱体化にともなって様相が一変、1991年3月、機構が廃止され、同7月1日に正式に解散した。ソ連が崩壊したのは同年12月である。

ロシアがウクライナへの侵攻を開始したのは2月24日である。プーチン大統領の狙いはウクライナのゼレンスキー大統領を退陣させて親露派の大統領にすげ替え、事実上傀儡国家にすることとみられ、当初短期決戦でカタがつくと判断したようである。ところがウクライナ軍の粘り強い抵抗にあってそのもくろみは崩れる。そこで侵攻から1カ月後の3月24日、プーチン大統領は演説の中で、軍事行動の目的の一つにウクライナの非武装化をあげた。陥落させるはずだった首都キーウから撤退するはめになるなど、思惑通りにならなかった苛立ちも重なってプーチン氏がウクライナに「非武装」を突き付けたと思われる。
一方NATOは2008年にブカレストで開いた首脳会談で「ウクライナとジョージアをいずれ加盟させる」ことに合意。プーチン大統領はこうしたNATOの方針に反発し、2014年のクリミア侵攻につながったといわれている。今回のウクライナ侵攻の遠因がNATOの東方拡大に対するプーチン氏の危機感であることはまぎれもなく、ウクライナに対し、NATOには入らない「中立的地位」を求めた。ゼレンスキー大統領は3月15日、「NATOに入ることはできないと聞いている」と発言、ウクライナのNATO加盟問題は当面棚上げされた形である。

このウクライナ戦争のなかで浮かび上がったウクライナの「非武装」と「中立」。二つの言葉を合わせると「非武装中立」になる。しかし、旧社会党が憲法の精神にのっとり、平和主義の理想像として描き出した「非武装中立」とはまるで正反対の意味で使われたことに私は慄然とする。プーチン大統領にとっての「非武装中立」は、ウクライナがロシアに刃向かえない丸腰状態になることを意味する。言い換えるならば「非武装中立」とはロシアの意のままになるおとなしい国のことである。「非武装中立」化させた後は、ロシア側の国にし、ロシアのための軍備を持たせる魂胆であることは明白だ。親露派大統領による傀儡国家化という当初のもくろみを回り道しながらも達成しようというのがプーチン氏の本意であろう。
すでに述べたように、旧社会党の「非武装中立論」は米ソ冷戦時代の産物であった。いま新たに「非武装中立」という、押し入れの隅でほこりをかぶっていた言葉を表に出したことは、プーチン氏が旧ソ連の復活をもくろんでいることの裏がえしと見えなくもない。NATOに対する敵愾心を露わにするプーチン大統領である。その狙いはワルシャワ条約機構の再興かもしれない。本稿の冒頭、プーチン氏の野望は「米露冷戦時代」ではないか、と書いた。ウクライナ戦争で民間人が殺戮されることにも平然としているプーチン氏だけに、妄想と笑って済ませることができない怖さを感じる。