アメリカのバイデン大統領の呼びかけによるオンライン形式の「」が、12月9日から10日(日本時間)にかけて開かれた。バイデン大統領は世界を民主主義国と専制主義国に二分し、その対立ととらえているように思われるが、現実は同大統領が考えるほど単純ではない。20世紀までに植民地支配をした欧米諸国(日本も含む)の多くは民主主義国であり、逆に植民地支配された国々に専制主義的な傾向がみられるなか、最も注視しなければならないのは植民地支配された国民のもつ屈辱感である。世界の中心軸がアメリカから中国に移りつつある今、その複雑な国民感情がどのように21世紀世界に影響を及ぼすかはまだ見通せない。わかっていることはただひとつ、いたずらに対立を煽ることは火種の元である。
21世紀の世界を考えるうえでまず押さえておかねばならないのは、世界の文明の中心は2000年をかけて地中海からスペイン・ポルトガル、イギリスそしてアメリカへと、地球を西回りしてきたことだ。これらの国々でほぼ共通しているのは、16世紀から20世紀にかけて、アジアを中心に非欧米地域を植民地支配したか、少なくとも軍事的に支配してきたことである。21世紀になって中国が台頭し、経済的にアメリカと肩を並べるに至った現状は、世界の中心軸がアメリカからさらに西周りしたことを示している。
このことは世界史的に二つの点で極めて画期的である。一つはすでに述べたように、かつて侵略された国が世界の中心になったことだ。「屈辱の歴史」が、日本(植民地支配をした側)を含む欧米に対する対抗心、もしくは反抗心を生み出してきた現実は無視できない。もう一つは、初めてキリスト教国でない国が世界の中心になったことである。国民の間で宗教的な共通性、あるいは宗教的権威者がいない国では、それに代わる権威を国民が求めるようになる。こうした二つの側面によって、20世紀までの欧米諸国とは全く異なる国民性が形成される。
宗教改革、産業革命、フランス革命、アメリカ南北戦争などを経て欧米諸国では民主主義が制度として定着した。しかしその一方で、すでに触れたようにアジア、南米、アフリカ諸国を植民地とし、さらに黒人を差別するという傲慢な白人優位国家となった。欧米民主主義国の恥ずべき裏面である。
第二次大戦終結以降、民主主義国でない国が世界の中心に位置したのはソ連だけである。そのソ連が崩壊し、20世紀の世界のただ一つの中心国となったアメリカにすれば、民主主義でない国が世界の中心になることは、世界大国としての威信の失墜にほかならない。トランプ大統領は「アメリカファースト」と叫んでその事実から目をそらしたが、バイデン大統領は威信をとり戻そうと、民主主義サミットを開いたのである。
サミットには110の国・地域を招待し、①専制主義に対する防衛②汚職との闘い③人権尊重の促進――を主要テーマとして開かれた。その一番の狙いが、新彊ウイグル地区における中国の人権侵害に対する国際的非難網の形成であることはいうまでもない。バイデン大統領は民主主義再生の取り組み強化のためとして、最大で4億2440万ドル(約480億円)を拠出することを表明、民主的な活動家に支援する方針を示した。
人権の尊重はいかる政治体制であろうとも、国家としての最も基本的な義務であり、その実現のための資金拠出には誰もが異存はないであろう。問題は民主主義の中身である。すでに述べてきたように、21世紀の世界の中心は中国及びその周辺のアジア地域だ。欧米が中心であった20世紀までとは異なる世紀になったのである。であれば、民主主義もまた欧米型とは異なるものにならざるを得ない。
中国の王毅外相はサミット閉幕後の12日、中国共産党機関紙「人民日報」に寄稿し、「アジア特有の民主理念をとどろかせなければならない」と訴えた。この言葉から浮かぶのは、毛沢東が掲げた「人民民主独裁」という理念だ。「侵略を許さず、人民だけの民主」という意味であろうか。その革命の精神が王毅外相の言葉ににじみでている。
「アジア特有の民主」が真に中国国民の求める政治理念といえるかどうかは大いに疑問だ。だからといって、欧米流民主主義を押し付けようとすれば、「屈辱感」のある国民感情を逆なでするだけである。21世紀の世界の大国としてどのような「民主国」にしていくのか。それは中国国民が決めることである。