現代時評《戦争の責任考》片山通夫

AFPの電子版に次のような記事が掲載されていた。

【10月20日 AFP】第2次世界大戦中にナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で秘書を務め、ドイツでの裁判を控えた9月末に逃走を図ったイルムガルド・フルヒナー被告(96)が19日、初公判に臨んだが、ほぼ黙秘を貫いた。
AFP通信記事

ナチスドイツの強制収容所で被告は秘書を勤めていたようだ。裁判で検察側は、ガス室に送られた犠牲者が叫ぶ声や錠をかけたドアにぶつかる音は、収容所にいた全員に「はっきりと聞こえるものだった」と検察側は述べた。

東京裁判での東条英機被告

一方で東京裁判(極東国際軍事裁判)では「日本軍は遺棄死体数を8万4000と発表した。犠牲者の数は東京裁判の判決文では20万人以上(松井石根に対する判決文では10万人以上)とされ、また埋葬された屍骸は約15万5000体と述べられている。」ということだった。
裁判の結果、松井石根元大将が死刑となり、南京で開かれた国防部審判戦犯軍事法廷では、元第六師団長谷寿夫(ひさお)中将らが死刑となった。

日本軍は南京の男性を大量に捕らえ、郊外へ連れて行き集団虐殺を行った((日)毎日新聞社:「一億人の昭和史」より)。

戦後75年が過ぎた。いや今年は76年目の年だ。いろいろ議論もあろうが、歴史は変えられない。なかったことにも出来ない。先に述べたようにドイツでは96歳の被告が裁かれようとしている。それも戦争やユダヤ人虐殺の「直接の指揮者」ではなく、秘書だった女性だ。果たして虐殺を指揮する立場にはなかったように思える。しかし《ガス室に送られた犠牲者が叫ぶ声や錠をかけたドアにぶつかる音は、収容所にいた全員に「はっきりと聞こえるものだった》と告発している。

わが国では東京裁判で「大将や中将達が有罪になった」が、そばにいたであろう補佐官などが76年経った今も糾弾されているのだろうか?
戦時中の経験や目撃などを「語らずに亡くなってゆく元兵士」のニュースは時として聞く。ユダヤ人虐殺と南京虐殺の違いは筆者には見いだせない。

参考  「まだ間に合う証言を未来に」朝日新聞