現代時評《コロナ無策政府によって失われる命》井上脩身

私の手帳の5月10日の余白に「L452R」「HLA-A24」の記載がある。L452Rは新型コロナウイルスのデルタ株、HLA-A24は白血球の型のひとつ。デルタ株はこの型の白血球をすり抜ける能力がある、という意味である。ネットにアップされた研究報告に、「日本人の6割がこの型の白血球を保有している」と記されているのに目が留まり、2~3カ月後に日本で大流行すると直感、メモしておいたのだ。はたして東京オリンピック開幕とともに感染者が東京を中心に急増、オリンピックが閉幕した8月8日には感染が爆発状態になり全国に蔓延、医療が破綻をきたす危機に陥った。私でも簡単に目にできる研究報告を国が知らなかったはずはない。研究内容を精査すれば、デルタ株対策が待ったなしの課題であることはわかったはずだ。菅政権の無策・無能ぶりはもはや犯罪的である。

私がネットで見たのは熊本大学のレポートである。L452Rの変異はHLA-A24をすり抜ける能力があり、重症化につながる可能性がある、というものだった。当時この変異株は「インド株」と呼ばれ、インドで猛威をふるっていた。その様子は度重ねてテレビで放映され、私は医療体制の不備や宗教上の理由からインドで蔓延しているのであろうと思った。しかし、熊大の報告では、HLA-A24型白血球はインド人の3割が保有しているのに対し、日本人の6割が持っているという。単純に考えれば、日本人はインド人の2倍のリスクをかかえていることになる。私は、大変なことになる、と背筋が凍った。

本稿を執筆するに当たって、もう一度ネットを検索した。6月16日、国立研究開発法人・日本医療研究開発機構がこの研究についてプレスリリースしていた。発表者は佐藤佳・東大感染症国際研究センター准教授、本園千尋・熊本大ヒトレトロウイルス学共同研究センター講師ら。結論はすでに述べた通りだが、75万配列以上のコロナウイルス流行株の大規模な配列分析や免疫学実験を行ったと報告。デルタ株がHLA-A24型白血球から逃避することを実証した世界で初めての成果、としたうえで「デルタ株は日本人、日本社会にとって、他の変異株よりも危険な変異株である可能性が示唆される」と警鐘を鳴らした。
デルタ株の感染力については、従来株の2倍、アルファー株(イギリス株)の1・5倍とされ、テレビの報道番組を通じ、度重ねて注意を喚起されてきた。しかし、渋谷や新宿などの繁華街への人の流れは減らず、感染は拡大。政府はすでに緊急事態宣言をしていた東京都、沖縄県に加えて8月2日から埼玉、千葉、神奈川、大阪の4府県も対象区域に拡大した。しかし11日に開かれた、厚生労働省にウイルス対策を助言する専門家組織「アドバイザーリード(AB)」は、31都道府県で「ステージ4(感染爆発)」を超えており、東京では95%がデルタ株に置き換わっていると報告。12日に開かれた東京都のモニタリング会議では「災害レベルの非常事態」と指摘された。
政府は17日、京都、兵庫など7府県を緊急事態宣言地域に追加。これに先だって、感染急増地域については自宅療養を基本とすることに方針を転換し、入院対象者を重症者や重症化リスクの高い者に絞った。この結果、自宅療養者が11日現在、全国で7万4000人と1カ月前の12倍に激増。東京では家庭内感染した40代の主婦が感染確認の2日後、自宅で死亡、川崎市の40代男性の軽症者も自宅療養中に亡くなるなど、急激な病状悪化によって自宅で死亡するケースが相次いでいる。

国内の累計感染者は118万人で、総人口に対する割合は0・94%(17日現在)と1%に満たない。しかし、「デルタ株は2倍の感染力があり、これまでとは様相が異なる」と政府は行動自粛を促すが、日本人の99%以上は感染経験がないため、その危険性を具体的にイメージできないのが実態だ。人の流れが、政府がおもうようには減らないのは当然であろう。
私がデルタ株を恐れたのは、日本人はインド人の2倍のリスクがあると思ったことだった。もし多くの人がこの情報を知っていたら、注意をしようとう空気が醸し出されたかもしれない。だが、政府も感染症の専門家も、そして新聞やテレビもこの研究報告をほとんど取り上げなかった。これはいったいどういうわけであろうか。
政府はこの研究報告を受け、急きょデルタ株対策に乗り出すべきであった。3カ月あれば東京に2カ所、大阪に1カ所、コロナ対応緊急病院を仮設し、医師を全国から派遣できたであろう。繰り返すが、HLA-A24型白血球研究グループは「デルタ株は日本人、日本社会にとって危険な変異株」と指摘した。デルタ株にもまして日本人にとって危険なのは、こうした科学者の警告を無視する菅政権そのものであろう。菅義偉首相は二言目には「国民の命と健康を守る」という。だが、国民の命は「コロナ無策」という人災により、次々に失われているのである。