ヒロシマ、ナガサキに続いて76年目の終戦(敗戦)記念日がやってきた。正確には日本がポツダム宣言を1945年8月14日に受諾し、9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦・太平洋戦争は終結した。
ただ解釈の違いがみられるのは「無条件降伏」か否かであった。日本はマッカーサー率いる占領軍が「軍政を敷く」ことに反発し「日本政府を通す間接統治」を訴えこれに変更された。ここに無条件降伏は帝国軍だけが対象となったようだ。
さて一昨日8月15日、76回目の記念日が執り行われた。例にって菅首相の一挙手一投足に注目された。何しろ原稿を読み飛ばし、その理由を「糊付け」とした考えられない理由をシャーシャーと述べる人だったから。
今回は天皇の入場などの時に座ったままでなく起立していた。こう書いてみると小学校低学年の児童のようだが、「苦労人」の首相なのだから驚く。
さて8月15日は「敗戦」の日である。しかし政府も国民一般も「終戦」の日とは言わない。先に述べたようにわが国は連合国に対して無条件降伏した。降伏である。まさに負けたのだ。屁理屈を言うと「日本政府を通じた」占領軍だったが、それも単に便宜上のことだった。占領軍に逆らって何ができたのだろうか。町にはMP(ミリタリーポリス)が闊歩していた。存在するはずの日本政府はほとんど無力だった。暴落的な事件もあまたあった。時はすでに日ソ冷戦に突入していた。挙句北朝鮮は韓国に攻め入った。朝鮮戦争の勃発である。おかげでわが国は特需を満喫し敗戦後の経済復興にこの戦争が大いに寄与した。
話を戻す。敗戦を終戦と言い換える術は米軍の「占領」を「進駐」と言い変えた。ここにわが国の歴史認識の間違いが起こる重要な原因があった。責任の伴わないよう、言い換えを簡単にしてしまう。これは戦前からの悪癖だった。例えば「退却」を「転進」とごまかしたように。
敗戦後76年の日を期にこの悪癖を捨てるべきである。