現代時評《五輪開会と天皇政治利用》井上脩身

東京オリンピックが7月23日、開幕し、国立競技場で行われた開会式で、天皇が開会を宣言した。1964年のオリンピックでも昭和天皇が開会宣言をしており、東京五輪の名誉総裁として当然の任務を果たした過ぎないが、57年前の五輪と決定的に異なるのは、スタンドに観衆が一人もいないことだ。宮内庁長官の「(陛下が)感染拡大を懸念している」との拝察発言が全く無関係とは言い切れないだろう。その効果に着目し、天皇を政治利用しようとする動きが出てくる恐れもないとは言えまい。私は、この五輪が戦前回帰への起点になるのでは、との不安にかられるのである。

西村康彦宮内庁長官は6月24日の定例会見で、「陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変ご心配されておられます」と切り出し、「国民の間に不安の声がある中で、陛下は開催が感染拡大につながらないか、ご懸念、ご心配されていると拝察している」と発言。西村氏は「陛下から直接聞いたことはない」が「私が肌感覚で感じている」と補足した。同庁関係者は「長官が『拝察している』と発言したということは、陛下の同意に基づいて代弁したということだろう」との見方を示した。(6月30日付毎日新聞)
4月25日に東京都などに発令された緊急事態宣言は6月20日に解除された。ところが6月23日、東京都で619人の新規感染者が確認されるなど、感染再拡大の兆しがみえ、専門家は「リバウンドの恐れがある」と指摘。これに対し、菅義偉首相は観客を入れた開催にこだわり、同月21日、政府や東京オリンピック・パラリンピック組織委員会などの五者協議で、観客の上限を1万人にすることを決定。こうした中での西村氏の拝察発言だけに、たちまち波紋が広がった。

大半の国民は「オリンピックで感染が広がるのでは」と不安視しており、この発言に違和感を持たなかったが、自民党の中から「憲法違反」との声が出た。憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と定めている。天皇がオリンピックについて発言するのは憲法上認められない、というのだ。横田耕一・九州大名誉教授も「宮内庁長官が政治に絡む天皇の思いを公やけにするのは越権行為。『感染拡大を心配している』との発言は『こんな時に開催するのはけしからん』という意味を持ってくる。五輪に反対する人たちが天皇の意見として都合のいいように利用する状況が生まれかねない」と語った。(6月26日、読売新聞電子版)
天皇の五輪への不安が東京都議選(6月25日告示)にどう影響したかを示すデータは見当たらないが、ボディーブローのようにじわっと効いてきた可能性は否定できないだろう。7月4日に投開票が行われ、自民党33、公明党23、計53議席と、菅首相が公言した過半数に届かず、政府与党への国民の批判が予想より強いことが明らかになった。こうした状況を受けて五者協議でオリンピックを無観客で開催することを決めた。

ある自民党の幹部は「宮内庁長官の発言が五輪開催慎重派に利用された」と述べたという。しかし、政治利用をしようとしているのはほかならぬ自民党なのである。
現憲法を改変することを党是としている自民党は改変憲法案として「自民党憲法改正草案」を公表している。その第1条を「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定。現行憲法の規定に「日本国の元首であり」の文言を挿入したのである。その理由について「明治憲法には、天皇が元首であるという規定が存在していた」としている。明治憲法下の天皇中心国家に戻そうという復古姿勢は明白であろう。
明治憲法(大日本帝国憲法)は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)と規定。これに基づいて軍部が天皇を利用、「天皇の名」のもとに暴走して中国大陸に侵略。さらに太平洋戦争でほとんどの国民を巻き込み、結果として日本中が焦土と化した。死者は310万人にのぼるとされている。こうした軍部や軍部と結託した全体主義政治家の天皇利用を二度と起こさないため、憲法は前文で「日本国民は、恒久の平和を祈願」することをうたい、天皇が元首であるとの文言を外したのである。

現憲法下で天皇が元首であるかどうかについては、議論が分かれる。私が大学で習った憲法学の教授は「天皇が政治的権能をもたない以上、元首ではありえない」との立場だ。内閣法制局は「天皇は限定された意味における元首」と解釈している。この意図は定かでないが、憲法で定められた国事行為については国を代表している、との考えによるであろう。五輪開会宣言も、限定された範囲内での代表者としての行為という理屈づけであろう。
自民党は「限定された元首」ではもの足りないのであろう。元首挿入の理由に「天皇は国の第一人者を意味する」と付け加えている。となると、仮に自衛戦争が行われる場合も、天皇はその第一人者と位置付けられるであろう。こうした自民党の姿勢は、憲法学者から「天皇を元首と呼ぶことにより、天皇の権威を高め、それを政治利用しようという底意に満ちたものであろう」と指摘されている。

オリンピックの開会式といえば1936年のベルリン大会が想起される。ヒトラーが開会宣言すると10万人の観衆が敬礼をした。この2020東京大会で、菅首相は国立競技場の6万8000人の観衆の前で、天皇が開会宣言する政治的効果を狙ったであろう。しかし、無観客になり皇后ら他の皇族も姿をみせなかった。政治利用できなかったことに菅首相はほぞをかむ思いであろう。だが戦前派保守政治家たちが黙って引き下がるとは思えない。「天皇元首化論」を言いだす者がでてきたら、それは天皇政治利用の始まりと思わねばならない。