連載コラム・日本の島できごと事典 その25《日本人初の世界一周》渡辺幸重

日本人で初めて世界一周をしたのは絶景の松島湾に浮かぶ宮戸島の儀兵衛、多十郎(太十郎)、寒風沢島(さぶさわじま)の津太夫と佐平の4人で、200年以上前の江戸時代のことです。彼らは、北はベーリング海、南は南極近くまで旅をし、ユーラシア大陸を横断し、大西洋と太平洋を渡りました。11年かかりました。この歴史を知っている人は少ないと思うので、紹介します。
4人は仙台藩の船・若宮丸の乗組員で、儀兵衛は賄い、他の3人は水主(かこ)でした。彼らを含む16人が乗り込んだ若宮丸は1793年(寛政5年)11月、米と材木を積んで石巻から江戸に向かう途中、暴風雨に遭い、北太平洋のアリューシャン列島の小島に漂着しました。一行はシベリアのイルクーツクに移され、そこで7年間暮らしたあと漂流10年後にロシアの首都サンクトペテルブルクで死亡や病気以外の10人が皇帝に謁見し、帰国を希望した4人がロシア初の世界周航船・ナジェージュダ号でクロンシュタット港から日本に向かいました。それから1年2カ月かけて地球を回り、1804年(文化元年)9月に長崎港伊王崎に到着しました。1804年というのはナポレオンが国民投票で皇帝になり、ナポレオン1世が誕生した年です。4人が乗った船はコペンハーゲン、イギリス、スペイン領アフリカ、ブラジル、南太平洋・マルケサス諸島、カムチャッカ半島に寄港しています。鎖国中の日本に帰国した4人は3カ月以上幽閉されたあと仙台藩に渡され、故郷に帰ることができました。途中、江戸で受けた藩の取り調べをまとめたのが蘭学者・大槻玄沢の『環海異聞』です。これにより私たちは、北海で英仏戦争中の英国船から砲撃を受け、南アメリカ最南端のホーン岬で強風に遇って南極近くまで流され、マルケサスで全身に入れ墨をした現地人と遭遇した、などの4人の体験を知ることができます。いまでも宮戸島には多十郎の墓碑、儀兵衛・多十郎オロシヤ漂流記念碑、儀兵衛の供養碑があり、島の東松島縄文村歴史資料館では多十郎がロシア皇帝から下賜されたという上着などを見ることができます。
ロシアが4人を送り届けた目的は日本との交易にありました。ところが、幕府の対応が礼を欠くものであったため日露が緊張関係になり、お互いの拿捕合戦につながったそうです。ロシアに残った乗組員の一人、善六はキセリョフ善六の名前で通訳や日本語教師を務め、露日辞書を作りました。1813年(文化10年)に函館で行われたゴローニン事件解決のための日露交渉の場にロシア側通訳として出席しています。江戸時代にはロシアに留まった日本人漂流民が何人もいたそうです。鎖国しても海は世界を結ぶということを知りました。