トランプ大統領はこの選挙で敗北を認めようとしない。「票を盗まれた」と裁判を起こしている。今のところ(11月15日時点)では、なお裁判で事態解決に突き進む姿勢を見せている。さすがの共和党もスムーズな「政権移管」を危惧してきた。トランプにとっては敗北を認めることは過去の悪夢がよみがえるとでも恐れているようだ。我が国のメディアが「トランプの脱税」「トランプの破産」「果ては逮捕」と言われていることが事実なのかどうかはともかく、その恐れが全くないということではないのではないか。
しかしよその国の政治家の動向を云々するよりも、我が国の「でんでん前首相」を総括したほうが重要なことではないのかと思う。
年金問題(何に使った?)、公文書改ざん。モリカケ問題。原発事故なんて起こるはずがないと大見えを切った。
内閣記者会などにも入れない週刊誌ごとき(失礼ですが)に先を越されている大マスコミの政府への忖度には驚かされる。校門様じゃないけど
「(忖度は)もう良いでしょう」と言いたい。
さて本題。
トランプの例を見るまでもなく「過去の記憶」は楽しい思い出とはならず今日の悪夢となっている場合も多々ある。
韓国や中国は戦争の記憶がはっきりと悪夢として今なお人々の心を苛なんでいる。加害者側の日本人は政治家を筆頭にきれいさっぱり忘れている場合が多いのにである。一部の人々は挙句の果てにはそんなことはまるでなかったかのようにふるまう。いや、はっきり、なかったという人も多くなってきた。嘘か誠かは知らないが、そういう人々も増えてきた。
一般に人間は忌まわしい記憶は忘れよう、忘れたいと思うものである。
そのような忘れたい記憶が韓国、中国などで引き起こしたあの侵略戦争なのだろう。
いつまで謝らせる?という人々が少なからずいる。
筆者に言わせればいつまでも日本人自身で総括しないで「なかったこと」にしようとしているからだ。
原因はいくつもあるだろうが、SNSに代表される、匿名での書き込みの手軽さが大いにものをいうようになってきたことが大きな原因だと思うわれる。何しろ匿名である。そして時には書きなぐるだけだろう。
そこには過去の記録も記憶も無視した憂さ晴らし的書き込みしかない。無責任が政治家をはじめ日本全体に広がってきているのではと危惧する。
記憶は記録とともに重要だと思うのだが。