取材手帖《童仙房余話》片山通夫

ここまで童仙房に伝わる話などを書いてきた。これを書くにあたっては南山城村村史に掲載されているエピソードなどを参考にした。今一つ伝説として今に伝わっている話を紹介したい。 鎌倉時代末、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒す謀略をはかっているのが幕府にもれて、天皇は南山城村のとなりにある笠置山へうつり、行宮(あんぐう)とし、天皇軍が笠置山の上、鎌倉幕府軍が山のふもとに陣取って、1カ月の攻防が繰り広げられました。
とうとう、幕府軍は、山へ火を放ち、天皇軍は敗走しました。後醍醐天皇は、つかまり、翌年、隠岐の島へ流されることになります。
天皇軍が笠置山で敗れたさい、赤んぼうの皇女様を抱いて乳母が童仙房へ逃げこみました。幕府軍が追ってくるし、もう逃げられないと観念した乳母は、皇女様を滝へ投げ、自らも同じ滝ではおそれおおいと、別の滝を探し、そちらへ身を投げました。

現在、童仙房の總神寺の入口付近に「稚児の滝」があり、別の沢に「乳母の滝」があります。いずれも、大きな落差の滝で、ここから落ちれば、とうてい無事ではいられないでしょう。

1331年に鎌倉幕府の倒幕計画が発覚した後醍醐天皇は三種の神器を保持して笠置山にて挙兵、篭城して元弘の乱の発端となった。