現代時評《パフォーマンスはやめることだ》片山通夫

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるっている。WHOは当初最大のスポンサー中国に気を使って危険の度合いを図り損ねたため、国際社会に注意を促すことをためらったきらいがあった。
わが国においても、後手後手に回った。本来ならばこのような医学上の問題が問題が発生した場合、技術的な知見に基づいた対策を速やかにとってゆかねばならないはずだった。あの豪華客船での対応も含めて。
しかるに、漏れ聞くところでは船内での隔離、つまり感染者とそうでない旅客との分離を明確にはしなかったようだ。今となっては感染するのが当然の結果としか思えない対応だった。それ以前の安倍首相のいう「万全の水際作戦」も訪日客の減少を恐れて笊で水を汲むがごとくの作戦で結局何もならなかった。3月5日になって、中国や韓国からの訪日客を突然管理しても遅そすぎた。
安倍首相は「私の判断」を強調する。つまり政治家の判断なのだ。政治家の判断は得てして自分の都合の良いように判断するきらいがある。特に安倍首相をはじめとする現政権や政権与党の自民党においては顕著だ。つまりいわゆる政治的な判断が優先する。
しかしながら相手はコロナウイルスという厄介だが全く科学的な代物だ。相手は政治的な判断という政治家のパフォーマンスをみて恐れ入るような相手ではない。安倍首相が「私の判断で」無責任に行動し、命令することは、この場合決して許されない。何しろ人命がかかっている。何しろ人権がかかっている。
安倍首相が焦って色々な手を打とうとするのはわかる。桜を見る会がらみの問題もくすぶっている中でのコロナウイルス問題だ。しかし所詮パフォーマンスでしかないということは国民にバレている。その証拠に逆転した支持率は好転していない。付け焼刃だとバレているのだ。おそらくこれまで支えてきた新興右翼からも見放されてきたのではないか。新興右翼も人間だ、これ以上下手に政権にすり寄ってもメリットがない。つまり威勢のいい話をぶち上げるだけの安倍首相について行けなくなってきたのではないだろうか。ことは新興右翼自身やその家族にもウイルスは蔓延する危険が及んできたという危険を察知したのではないかと思う。

はっきり言おう。
 パフォーマンスだけの馬鹿な政治家はこのコロナウイルス問題から手を引いて、専門家である学者や医師、そして優秀な官僚に国民を救うための手立てを実行してもらうのだ。
 勿論、金だけを出して口は出さないで・・・。