NGO「ペシャワール会」の医師、中村哲さんが12月4日、アフガニスタン東部で銃撃を受けて亡くなった。この悲しい報道で、中村さんが1992年、毎日国際交流賞を受賞したさいの記念講演が私の脳裏によみがえった。当時パキスタンでハンセン病の治療に当たっていた中村さんが「ハンセン病への偏見は近代化に応じて強くなる」と述べたことが、強く印象として残ったのだった。中村さんが非業の死を遂げる1カ月近く前の11月15日、ハンセン病家族補償法が参議院本会議で可決した。我が国が近代国家になって以降、ハンセン病の患者とその家族が偏見、差別にさらされてきた歴史を重ねると、中村さんの指摘は差別の本質を鋭く射抜いているように思える。中村さんは後に用水路を引くなどの灌漑に全力を傾注。今回の事件にともなって、新聞やテレビではその功績業をたたえる報道が目立った。そのことに異存はないが、ここでは中村さんのハンセン病への取り組みを振り返りたい。中村さんが敢えて苦難の道に分け入った動機が近代への懐疑にあるように思うからである。 “現代時評《中村哲医師とハンセン病》井上脩身” の続きを読む