~滋賀・看護助手冤罪事件が教えるもの~
入院患者の人工呼吸器を外したとして殺人罪が確定、服役した元看護助手(39)が「(初公判で)否認しても本当の私の気持ちではない」との上申書を捜査員に書かされていたことが最近になって判明した。元看護助手について今年3月、再審開始が決定、来年3月末にも無罪になる見通しだが、自白を維持させる目的で強要したとみられる供述書の存在が明るみに出たことで、冤罪の元凶の一端が浮き彫りになった。
事件は2003年5月、滋賀県東近江市の湖東記念病院で、入院中の男性患者(当時72歳)が死亡しているのを看護師が発見。元看護助手が「院内を巡回中に人工呼吸器のチューブを外した」と自供し、殺人容疑で逮捕された。元看護助手は公判で無罪を主張したが懲役12年の判決が確定した。第2次再審請求審で大阪高裁は2017年12月、「自然死の可能性がある」として再審開始を決定、最高裁で確定した。検察側は今年9月、新たな有罪立証をしない方針を示し、再審で無罪になることが事実上決まった。
自白維持のための上申書の存在がわかったのは今年10月。上申書は2004年9月の初公判の3日前、元看護助手が取り調べ担当の捜査員に滋賀刑務所の拘置スペースで書かされた。冒頭「(初公判で)嘘をついて否認しようと考えました」とあり、「今まで警察や検事さんに言ってきたのにと思うと、本当のことを言って一生かけて償っていきます」「もしも否認しても、それは本当の気持ちではありません」などとつづられている。(10月24日付毎日新聞)
11月8日付同紙によると、元看護助手は捜査段階で「人口呼吸器のアラームが鳴ったが放置した」という趣旨の供述をしている。だが警察はこの供述書を地検に提出しておらず、「チューブを外した」との自供が有罪の決め手となった。
チューブが外れたのでなく被告人が外した、と証明するには、目撃者がなければほとんどの場合自白以外に証拠はない。
憲法は「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」(第38条3項)と規定。ところが刑事訴訟法には「被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人の不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる」(第322条1項)との例外規定が置かれている。この条項で問題なのが「特に信用すべき情況」。「特信条項」と呼ばれ、「自白裁判の武器」になっている。
元看護助手の裁判では、大津地裁判決は「自白に迫真性がある」と判示している。迫真な自白であるがゆえに「特に信用できる」というわけだ。この裁判でも特信条項が援用されたみるべきだろう。
内田博文・九州大名誉教授(刑事法学)によると、この条項は「自白が任意にされたものでない疑いがあるとき以外は自白に証拠能力を付与」したもので、「裁判所にとって自白の任意性を否定するのは困難。(なぜならば)裁判官の検察・警察に対する仲間意識(裏返せば裁判官の必罰主義)があるから」(『治安維持法と共謀罪』岩波新書)と指摘する。平たく言えば、裁判官と検察官がぐる同然の司法界では、特信条項がまかり通っているのが実態というのだ。
この事件では、再審請求審で弁護側が「患者は致死性不整脈で病死した可能性がある」との医師の意見書を新証拠と提出したことで、再審開始決定につながった。しかし、一審裁判官が自白について、誘導された疑いがないかなど厳密に判断していれば、無罪という結論が導きだされた可能性を否定できない。今なお冤罪が司法界にはびこっていることをいみじくも表した裁判といえるだろう。
特信条項はすでに述べたように憲法に対する例外規定である。したがって極めて限定的な規定でなければならない。「特に信用すべき情況」という文言には何ら限定的な文辞はない。裁判官が信用しさえすればどんな自白も証拠にできる規定なのである。私はこの特信条項は憲法違反だと考える。
冤罪は虚偽自白から始まるといって過言でない。その温床は特信条項である。冤罪をなくすため、特信条項は廃止されねばならない。