「樺太夢幻」014

豊原(ユジノサハリンスク)と真岡(ホルムスク)との間に熊笹峠がある。豊原・真岡間を結ぶ交通の要衝だった。1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄して樺太に侵攻したソ連軍は1945年8月20日に真岡に上陸、真岡占領後は豊原市(現在のユジノサハリンスク)を目指して進軍し、それに抵抗する日本軍との間に8月20日から23日にかけて熊笹峠や宝台ループ線を舞台に激しい戦闘が繰り広げられた。写真は熊笹峠に残る日本軍の塹壕。

「樺太夢幻」012

 

冬の話。
樺太の冬は厳しい。氷の世界だ。氷の世界では海にも畑にも行くことはできない。人々は集って長い冬をやり過ごす。踊り、歌いそして笑って。

 

琵琶湖夢幻ー湖北・塩物語003

筆者がだいぶ以前から不思議感じていたことはこの湖北には「塩津」とか「海津大崎」などという「海にちなんだ地名」があることだった「津」という文字の意味するところは「湊・港」だという。

琵琶湖夢幻ー湖北・塩物語002

 

琵琶湖は 大きく分けて南湖と北湖に分かれる。南湖は県都大津が控えていて、人口も多いので北湖ほど水は澄んでいない。この写真のように北湖は透き通った水が続く。
写真は安曇川付近(滋賀県高島市)

琵琶湖夢幻ー湖北・塩物語001

《琵琶湖から塩取れたよ! 「近江塩」に園児沸く 》:虚構新聞2015・5・8付

こんな見出しの記事が目に留まった。なんでも近江塩と言って1袋(500グラム)4800円(税込)。かなりの高値だ。ちなみに、昔ながらの製塩法で海水から塩を作っている能登半島の「こだわりの非直火式低温製法 奥能登海水塩」 200g756円だ。(写真は虚構新聞2015・5・8付から)
記事を少し引用してみる。

虚構新聞2015・5・8付⇒ http://kyoko-np.net/2015050801.html
滋賀県での塩作りは7世紀、大津に都を移した天智天皇の時代までさかのぼる。淡水湖である琵琶湖に含まれるごくわずかな塩分を抽出して取り出す「近江塩」は貴重な調味料として古くから皇族・貴族に珍重されてきた。また日本だけでなく歴代の中国皇帝も好んだと言われており、コロンブスらが新航路を開拓した目的も、東南アジアの香辛料ではなく、近江塩を手に入れるためではないかという説もある。

ところで当該記事はともかく、同じ琵琶湖の、いわゆる湖北では古来塩が作られていたという名残や言い伝えがある。(次回に続く)

「樺太夢幻」009

樺太開拓の一環として、パルプ工場が石炭産業とともに多く造られた。
そして、現在もその工場跡が随所にみられる。写真は真岡(ホルムスク)の王子製紙真岡工場

王子製紙の歴史:王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社は、従来から競合しつつもしばしばカルテルを結んで協調行動をとっていた。1920年代末になると市況の悪化で、特に富士製紙・樺太工業の業績が悪化する。1929年(昭和4年)に王子製紙は富士製紙の株式を買収して筆頭株主となり、富士製紙の業績建て直しを支援するようになる。また、1930年頃から樺太工業側から王子製紙へ合同を打診していた。市況と各社の状況から、これ以上の消耗を回避し、なおかつ従来以上の市況統制として3社の合同が構想され、巨大トラストである「大王子製紙」発足へと至ったのである。(ウキペディア)