現代時評《弥生3月》片山通夫

旧暦では、和風月名(わふうげつめい)と言う「月」の和風の呼び名を使用していた。その和風月名によるとご存じのように弥生は3月のこと。
木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる、草木が生い茂る)月という意味らしい。もっとも旧暦(太陰暦)での話なので、いま私たちが使っている新暦(太陽暦)とは1、2か月のずれがあるが、ここではそのようなややこしい話は無視したい。つまり新暦であっても3月は弥生と呼ぶ月なのだと思って貰えるならうれしい。

山家集(さんかしゅう)と言う歌集がある。西行法師の歌集である。

花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふわが身に
ねかはくは花のしたにて春しなん そのきさらきのもちつきのころ
仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば

如月(きさらぎ)は旧暦二月のことなのだが、「はなのした」の「はな」は桜の花を指すらしい。西行は桜の花が好きだった。上の3首はその山家集にまとまって収録されている。

ところで今年の3月の満月(望月・もちづき)は25日16時。この満月はワームムーン(Worm Moon)とアメリカ先住民の間では呼ばれている。作物の収穫や狩猟など大自然と共存するライフサイクルなので、季節を把握する力が備わっていた。虫がうごめきだす季節で種まきの準備を考える時期。我が国でも3月頃には「啓蟄(けいちつ)」と呼んで冬ごもりの虫が地中からはい出る頃を指す。

啓蟄を啣(くわ)へて雀飛びにけり  1934年・川端茅舎句集より
ここにも春が。しかし最近雀も目にしなくなった。

また「弥生文化」という言葉がある。辞書などによると、《日本で食料生産に基づく生活が始まった最初の文化。縄文文化の伝統のうえに大陸文化が到来して成立。稲作・米食、青銅器・鉄器の製作・使用、紡織などが始まり、専門技術者が生まれ、支配・被支配の関係が生じ、地域社会が政治的にまとまりはじめた。》とのことであり歴史上の一時代を指すらしい。この頃から集団の長(おさ)が生まれ人々は長に統率されて行く。

弥生時代のごとき自民党派閥にとっては、厳寒の春。

註 西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人 で西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清。憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位。後に大本房、大宝房、大法房とも称す。 和歌は約2,300首が伝わる。勅撰集では『詞花集』に初出。 ウィキペディア
註:山家集は、平安末期の歌僧・西行の歌集。収録された歌は約1560首

びえんと《京アニ事件で思う死刑の是非 002》Lapiz編集長・井上脩身

遺族「死刑は望まない」

『死刑執行された飯塚事件』の表紙(ウィキベテアより)

78人もが犠牲になるという凶悪事件で、禁固最長21年(延長があるとしても)という判決は日本ではおそらくあり得ないだろう。仮に死刑が廃止されたとしても終身刑以外の刑は考えがたい。事件の被害者や遺族がどう思っているかに
ついてネットで検索すると、朝日新聞の記者が2022年6月、事件に遭って負傷した女性を取材していた。27歳(取材当時)のハルロブセンさんは
3発の弾を受けて右手を失った。一緒に集会に参加していた友人は銃殺されている。「(犯人に)憎しみはもちろんあった」という一方で、「厳罰という過激な処分で応えると、ノルウェー社会は彼の思うようになってしまう」という。その思いからハルロブセンさんは法廷でブレイビクと対峙したとき、傷口が見える服を着て銃撃の様子を証言した。「勝ったのはあなたじゃないということを見せようと思った」と話す。事件で次女を失ったレイネランドさんは「当初は憎しみしかなかった」といい、裁判所で被告から5メートルほどのところに座ったとき、手にしたスマホで襲いかかろうか、とも考えたと明かした。しかし、「いつの日か、彼に自分がやったことをきちんと理解してほしい」ので「死刑は望まない」とレイネランドさん。「娘が生きていたら、死刑を望まなかったでしょう」と語った。
朝日新聞の記者はノルウェーの刑務所は明るく自由にみえたと書いている。77人もの命を奪ったブレイビクには刑務所内で3つの個室が与えられているというのだ。わが国でこのような処遇をすれば、「殺人犯がなぜこんないい生活ができるのだ」と非難ごうごうであろう。ところが、ウトヤ島での生存者の一人は「受刑者を非人道的に扱えば結果はもっと悪くなる。この国が彼を人道的に扱っているのは喜ばしいこと」と語った。
こうした見方は、死刑廃止100年の歴史の積みかさねからくるものであろうか。死刑がなくなってはや3世代。罪を犯した人にも生きる権利がある、と多くの人が考えるようになったということなのであろうか。

死刑執行後に再審請求

冒頭、私は死刑は廃止されるべきだと考えていることを明かした。その理由は無実の人を死刑台に送ってしまえば、後で冤罪であることが判明しても取り返しがつかないからだ。実際、そう危惧される事件が起こっている。幼児が強姦されたうえ殺された飯塚事件である。
日弁連によると、1992年2月20日、福岡県飯塚市で小学1年生の女児2人が登校中に行方不明になり、翌日、隣接する甘木市で遺体で発見された。同22日、遺体発見現場から数キロ離れた所で被害者の遺留品が見つかった。この遺留品発見現場付近と被害者の失踪現場付近で自動車を目撃したという人が現れ、その証言からKさんが逮捕された。Kさんは一貫して犯行を否認、無実を訴えたが、福岡地裁は被害者の体に着いた犯人の血液のDNAが被害者と一致しているとして死刑判決を下した。福岡高裁が控訴を棄却、最高裁も2006年上告を棄却し死刑が確定した。問題はこのDNA一致が、やはり幼児が殺され死体遺棄された足利事件と同じMCT118鑑定による点だ。足利事件ではこの鑑定が正確でないとして新たに鑑定が行われた結果、Sさんは再審で無罪になった。弁
護側は飯塚事件の鑑定は目盛りとなるマーカーに重大な欠陥があるなど足利事件以上に不出来だと主張。科学捜査研究所は鑑定試料を全て消費してしまったといい、再鑑定は不可能になってしまった。2008年、足利事件でDNA再鑑定がなされる見通しとの報道がなされるなか、森英介法務大臣が死刑執行を命令、判決確定からわずか2年余りという異例の早さで死刑が執行された。Kさんの遺族は再審請求を行ったが2021年、最高裁は特別抗告を棄却した。遺族は2021年、新たな目撃証言に基づいて福岡地裁に第2次再審請求を行い、現在審理中である。この事件については2017年、『死刑執行された飯塚事件』(現代人文社)の題で一冊の本にまとめられた。このなかでフリーライターの小石勝朗さんは「100回以上鑑定できる量があったはずなのに、もはや再鑑定がかなわない。これほどいい加減な対応が死刑判決につながっているのかと思うと、やる
せない気持ちばかりが募る」と書いている。私も同じ思いである。「無実とわかる前に死刑にしてしまえ」と言わんばかりの冷酷な死刑執行というほかない。死刑という刑がなければ、Kさんは生きて無罪判決を得る可能性があった。死刑制度はその機会を奪ったのである。

回復感情の充足が課題

京アニ事件に話を戻そう。飯塚事件とちがって、防犯カメラの映像などさまざまな証拠から、被告の犯行であることは間違いなく、被告も自らの犯行であることを認めている。冤罪の可能性がないとなれば、死刑の是非を判断する要素は犠牲者数と被害者・遺族感情であろう。数だけの論なら京アニの被告は死刑を免れないことになる。実際、私も冒頭に述べたように死刑はやむを得ないか、と思ったのだ。しかし、本稿でみたように、遺族の思いは激情にかられて「死刑にしろ」というような単純なものではなかった。その思いをどう受け止めるべきであろうか。高橋則夫・早稲田大学学術院教授(刑法)が「犯罪被害者(遺族)と死刑制度」という論文を日弁連広報誌「自由と正義」2015年8月号で発表している。高橋教授は「犯罪被害者(遺族)感情は、応報感情と表裏の関係に立つ回復感情であろう」としたうえで、「国家刑罰については応報の側面だけが残存した」と指摘し、「回復の側面から被害者(遺族)問題を捉え直すことが必要」と主張。これを平たく「わが子を返してほしい」という回復感情をどうすれば充足できるのかを考える必要がある、と言い換えたうえで、「回復困難が充足されることで応報感情が削減されることになろう」と指摘する。

では回復感情はどのようにすれば被害者や遺族の心の内に生まれるのだろうか。高橋氏は「加害者は、犯罪被害者(遺族)への可能な限りの原状回復や財政給付、さらには犯罪被害者(遺族)への謝罪などを行うことが必要」という。しかし加害者によっては回復困難なケースが少なくない。高橋氏は「スウェーデンやノルウェーにおいては犯罪被害者(遺族)の支援などを目的とする犯罪被害者(ノルウェーは市民庁)が設置され、国による犯罪被害の補償、犯罪被害者基金の管理、犯罪被害者に関する情報の収集・伝達などが行われている」としたうえで、こうした取り組みを重ねることで死刑制度を廃止できると訴える。
京アニ事件でもそう言えるのだろうか。被害者参加制度基づいて遺族が被告に「(犯行の対象者に)家族や子どもがいると考えなかったのか」と尋ねられた被告は「そこまで考えなかった」と答えつつ、謝罪の言葉も漏らした。こうした被告の態度の変化が、遺族の回復感情に幾分かでもつながったのではないだろうか。死刑を望まない遺族がいたことは確かなのだ。遺族の感情、高橋教授の理論、そしてノルウェーの実情を総合して考えると、京アニ事件は死刑廃止に進む第一歩たり得ると言えるように思う。少なくとも「報復即死刑」という報復主義は考え直すべきであろう。答えを見いだしたとまでは言えないが、私は心の葛藤からいく分脱却できたようである。(完)

びえんと《京アニ事件で思う死刑の是非 001》Lapiz編集長・井上脩身

 壁がまっ黒になったアニメーションのスタジオ(ウィキベテアよ り)

36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件で京都地裁は1月25日、被告男性に死刑を言い渡した。私は、死刑は廃止されるべきだと考える一人である。とはいえ、黒焦げになった京アニのスタジオを間近に目にし、何の理由もなくなく犠牲になった大勢の人たちをおもうと、死刑もやむを得ないのではとの思いが頭をもたげてくる。死刑廃止理念と京アニ事件という余りに非道な現実の間で、私はいま葛藤し答えを見いだせないでいる。死刑は存続すべきなのか、廃止されるべきなのか、濃い霧のなかを手さぐりで歩くような思いで、本稿を書き始めた。

複雑な遺族の心理

京アニ事件について、私はLapiz2019年冬号の「編集長が行く」で、「京アニ放火殺人事件現場で犯人像に思いをめぐらす」と題してエッセー風にまとめた。そのなかで、京ア二が募集した第1回アニメ大賞小説部門(2011年)で奨励賞を受賞した『中二病でも恋がしたい』の主人公の「俺、こんなに影が薄い人間なのはこっち側の世界の人間じゃないからか? とか思って魔界に行ってみたいと思ったことがあるんだ」との言葉に、京アニ事件の被告の心を探るヒントがあるような気がした、と書いた。被告は「魔界」の世界に入り、「こちら側の世界」の人たちに強い憎しみをおぼえていたのではないか、とおもったからである。
京アニ事件の被告もアニメ大賞を目指して小説を応募したが落選している。裁判では「コンクールに応募した小説が盗用された」と思いこんだ被告の妄想によって事件が引き起こされたかどうかが焦点となった。弁護側は妄想によって心神喪失に至ったとして無罪を主張したが、増田啓祐裁判長は「被告自身の攻撃的な性格や独善性などに基づいた犯行」と認定。「(被害者は)全く落ち度もないのに将来を奪われ、無念さは察するに余りある。非業の死を遂げた恐怖や苦痛は筆舌につくしがたい」と述べたうえで、「残虐非道な犯行で36人もの尊い命を奪い、まれに見る被害の大きさで社会に衝撃を与えた。死刑を回避する余地はない」と判示した。

法廷では被害者の遺族たちも判決を聴いていた。アニメーターだった妻を亡くした夫は、裁判長が死刑を言い渡すと涙をポロポロと流した。この夫は自ら作った裁判記録ファイルに、被害者をさん付けして記載しており、「死刑」を口にすることにはためらいがあったという。記者の取材に応じ「遺族一人一人の思いを、裁判哉や裁判員の皆さんはほんとうによく聞いてくれた。うれしかった」と語った。(1月26日、毎日新聞) 「彼(被告)が死刑にされてしまったら何が残るか心配していた」という娘を亡くした父親は「死刑になってほしくなかった。死刑と聞いたときは『やっぱりそうか』と思い、ため息が出た」と語った(1月25日、朝日新聞電子版)。苦悩の胸の底から絞り出すように出るこうした声に比べると、「(死刑判決は)社会に与えた深い傷を考えると納得できる」(京都市の大学生)という一般傍聴人の意見のなんと軽いことか。二人の遺族の
言葉だけで軽々に判断はできないが、「遺族は犯人への憎しみ、恨みから死刑を求めるはず」と決めつけるのはいかがであろうか。命というものに直面することになった遺族の心理は、私が想像していたような憤怒の炎に包まれた精神状態という単純なものではないようだ。

78人が犠牲の凶悪事件

連続テロ事件で69人が犠牲になったウトヤ島の現場 (ウィキベテアより

外国では、京アニ事件のような大事件が起きたとき、被害者や遺族はどう思うのだろうか。調べてみると、北欧ノルウェーで世界中を震撼させる大事件が起きていた。ノルウェーは1905年、死刑廃止に踏み切った。それから1世紀余り後の2011年7月22日、首都オスロの政府中枢部の庁舎が爆破され、8人が死亡した。極右思想の白人男性、アンネッシュ・ベーリング・ブレイビクの犯行だった。ブレイビクはさらにオスロ北の河川中にあるウトヤ島に向かい、同島で開かれていたノルウェーの労働党青年部の集会の会場に侵入。出席していた700人に向けて銃を乱射し、67人が撃たれて死亡、2人が島から泳いで逃げようとして溺死、319人が負傷した。合わせて78人が犠牲になった連続テロ事件は世界に衝撃がはしり、国連の潘基文事務総長は「ノルウェー国民と結束する」との声明を発表。フランスのサルコジ大統領は「憎むべき許しがたい行動」との書簡をノルウェー首相に送った。菅直人首相も「無垢の人々を犠牲にする暴力行為はいかなる理由があっても許されない」と述べた。
犯人のブレイビクは国内外の極右組織と関係があったとみられ、ノルウェーの検察当局は反テロ法違反と計画殺人の罪で起訴した。
裁判でブレイビクは「イスラムから西欧を守るため」と動機を挙げ「非道なことだが必要なこと」と無罪を主張。精神科医がブレイビクを診断し、「犯人は犯行時も現在も妄想の世界で生きている」と診断、責任能力が無いと結論づけられた。この鑑定によって、ブレイビクは収監されず精神病院で治療される可能性が大きくなったことに遺族らが反発。公判ではブレイビクの精神状態が最大の焦点となったが、ブレイビク自身は「精神病でない」と主張しつづけた。オスロ司法裁判所は2012年8月23日、禁固最低10年、最長21年の判決を言い渡した。

2022年、刑期が10年をすぎたことから、仮釈放の申請が可能となり、法廷で審理された。ブレイビクは白人至上主義を訴え、ナチス式敬礼までおこなったことなどから、仮釈放申請は却下された。ノルウェーでは、刑が終わった後も社会復帰が危険とみなされれば、刑期が無期限に延長されることもあるという。
(明日に続く)

 

LapizのSDGs《昔ながらの生活》写真も 一之瀬明

広島県の鞆の浦という港町。町の人々は昔ながらの趣を残した町で生きている。
今やその趣を楽しむため人々はこの町を訪れる。そこには昔ながらの生活がある。歴史を大切に景観も大事に。
鞆の浦はその昔から北瀬戸内海を行き来する前船などの「風待ち・汐待ち」の港だった。そしてその面影は今も・・・。

持続可能な開発目標SDGsエス・ディー・ジーズとは

Lapiz2024春号Vol.49《巻頭言》Lapiz編集長・井上脩身

大阪の書店で「サッコ・ヴァンゼッティ」の文字が目に留まりました。書棚から本をとりだすと、『「わたしの死を泣かないでください」サッコ・ヴァンゼッティ冤罪事件』という題がついていて、イタリア近現代史が専門の藤澤房俊
・東京経済大名誉教授が太陽出版から刊行していました。1985年7月、徳島ラジオ商事件の再審裁判で、すでに亡くなっていた冨士茂子さんに無罪が言い渡されたとき、新聞社にいた私は解説記事のなかで、死後に無実の罪が晴れた例としてサッコ・ヴァンゼッティ事件を引用していたのです。39年前、徳島地裁でのどよめきがよみがえり、さっそく同書を買って読みふけりました。

サッコ・ヴァンゼッティ事件の概要は以下のとおりです。
1920年4月、アメリカ・マサチューセッツ州の製靴工場を5人組の男が襲撃、会計部長とその護衛の2人が射殺されたうえ、16,000ドルが奪われるという強盗殺人事件が起きました。この事件の容疑者としてイタリア移民のニコラ・サッコとバルロメオ・ヴァンゼッティが逮捕されました。サッコはこの工場で働いたこともある社会主義者、ヴァンゼッティは魚屋で無政府主義者。当時、アメリカでは共産党狩りが行われていて、二人が犯行に加わっていた明白な証拠もないまま裁判が始められました。1921年7月、裁判所は二人に死刑判決を下しました。
判決から3カ月後、「審理が公正でない」としてボストンをはじめニューヨークなどで抗議の暴動がわきあがります。処刑が近づくと、フランスのリール市のアメリカ領事館を共産党員らが取り囲みデモを行うなど、抗議活動はアメリカ国外にまで広がりました。弁護側は裁判のやり直しの申し立てを行いましたが却下され、1927年4月9日、サッコとヴァンゼッティは刑務所で処刑されました。
処刑から50年後の1977年7月、マサチューセツ州知事のマイケル・デュカキスは、偏見と敵意に基づく冤罪であるとして、二人が無実であると公表、処刑日にあたる8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」と宣言しました。
『「わたしの死を泣かないでください」サッコ・ヴァンゼッティ冤罪事件』の著者、藤澤氏は冒頭に述べたように歴史学者です。法律家、ジャーナリスト、ノンフィクションライターでない人が冤罪問題に取り組むのは珍しいのですが、藤澤氏は裁判記録を丁寧に調べ、サッコやヴァンゼッティが書いた手紙なども精査して本にまとめあげました。
藤澤氏によると、担当した検事は差別観に満ち満ちていて、サッコが徴兵を逃れるためにメキシコに逃避したことをとらえて「あなたは国を愛していたか」などと、事件と関係のないことを執拗に責め、愛国心のないアナーキストとのイメージを陪審員に印象付けようとしました。イタリア移民たちが「事件当日、駅でサッコに会った」などと証言、「その日は旅券の申請にイタリア領事館に行った」というサッコの供述を領事館員が肯定したにもかかわらず、「イタリアの同胞をかばうもの」として、これらのアリバイ証言を認めなかったのです。
藤澤氏は「第一次世界大戦後の『赤への恐怖』と、イタリア人移民に対する偏見と蔑視があいまった社会的なヒステリー状況のなか、なかでもイタリア人移民に不寛容で保守的なボストンにおいて、イタリア人とアナーキストに憎し
みを抱く判事と検事が、サッコとヴァンゼッティに対し、電気椅子による死刑判決を下した」と結論づけています。
1951年、ボストンの新聞が事件の真犯人の一人がブッツィーなる人物と報道。ブッツィーは「サッコとヴァンゼッティはぬれぎぬ」と述べ、二人の冤罪が確定的となりました。1971年には事件を忠実に描いた映画『死刑台のメロディー』が公開され、世界中から反響がわきあがりました。こうした経過を経て、前述したようにマサチューセツ州知事の声明により晴れて二人は無実となったのです。
徳島ラジオ商事件は1953年、徳島市のラジオ店主が殺害され、内縁の妻、冨士茂子さんが犯人として懲役13年の判決を受けた事件です。茂子さんは服役しましたが、住み込み店員が「二人が争うのを見た」との警察官に対する
証言はうその供述だったと告白、茂子さんが再審を請求しました。茂子さんは1979年、69歳で亡くなり、きょうだいが再審請求を継承しました。無罪判決によって茂子さんの名誉は回復しましたが、その判決を自分の耳で聞
くことはできませんでした。茂子さんは死刑ではありません。もし死刑で
あれば、店員が偽証告白する前に執行されてしまったかもしれません。サッコ・ヴァンゼッテ事件があったマサチューセッツ州は1984年、死刑を廃止しました。現在死刑があるのは日本を含め約60の国と地域。世界的には少数派です。その日本で1月25日、京都アニメーション放火殺人事件で殺人などの罪に問われた被告に死刑が言い渡されました。死刑の存在を認めるのか、廃止されるべきなのか。本号では「びえんと」のなかで考えました。

Lapiz2024春号は明日から掲載します。

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Lapiz(ラピス)はスペイン語で鉛筆の意味
地球上には、一本の鉛筆すら手にすることができない子どもが大勢いる。
貧困、紛争や戦乱、迫害などによって学ぶ機会を奪われた子どもたち。
鉛筆を持てば、宝物のように大事にし、字を覚え、絵をかくだろう。
世界中の子どたちに笑顔を。
Lapizにはそんな思いが込められている。

四文字熟語が世界を暴く015《朝三暮四&呉越同舟》》山梨良平

朝三暮四(ちょうさんぼし)目先の違いにとらわれて、結局は同じ結果であることを理解しないこと。また、言葉巧みに人を欺くこと。転じて、変わりやすく一定しないことや生計の意味でも使われる。 中国、宋に住む狙公という男が、自分が飼っている猿に朝は3個、夜は4個トチの実をやると言ったところ猿が少ないと怒り始めた。 そこで、では朝に4個、夜に3個にしようと言いなおしたところ猿が喜んだとの故事に由来する。
⇒旧統一教会の選挙協力で当選した政治家たちは言葉巧みに欺かれ今となって四苦八苦・・・。

呉越同舟(ごえつどうしゅう)どんなに仲の悪い者同士であっても、共通の敵や災難にあっては、協力しこれを回避しようとするものであるということ。
また日本における慣用的誤用で、敵同士が同じところにいる様。
⇒共通の敵をごまかすために今派閥のボスたちは共同戦線をはるのに必死!

お知らせ

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どうぞご利用ください。

現代時評《東アジア反日武装戦線闘志の孤独な死》井上脩身

東アジア反日武装戦線″さそり″のメンバーとして指名手配されていた桐島聡さんと見られる男性について、警視庁は2月初め、DNA鑑定から本人の可能性が高いと判断した。1974年から75年にかけて海外進出している一流企業を標的に行われた一連の爆弾テロ事件。「桐島聡さん」は命をかけた革命闘争の意義を誰に語ることなく、ひたすら逃亡生活をつづけ、1月29日に死亡した。「桐島さん」の50年は何だったのだろう。私は彼に深い哀憐の情を覚える。
男性が桐島さんと断定されたわけでないので「桐島さん」とカッコづきで書くことをお断りしておく。 “現代時評《東アジア反日武装戦線闘志の孤独な死》井上脩身” の続きを読む

四文字熟語が世界を暴く014《槿花一朝》》山梨良平

槿花一朝(きんかいっちょう)槿(むくげ)の花は、朝開いてその夕べにはしぼんでしまう。 はかないことのたとえ。 「槿花一日(いちじつ~」ともいう。 栄耀栄華を謳(おう)歌していても、たちまち失敗、元の木阿弥(もくあみ)になる。
⇒「
驕る平家は久しからず」ともいう。安部政権時代はすでに過ぎ去り・・・。

四文字熟語が世界を暴く013《傍若無人》山梨良平

傍若無人(ぼうじゃくぶじん)人まえをはばからず勝手気ままにふるまうこと。
⇒最近の国会を見ていると盛山文科相への野党の攻撃がすごい。旧統一教会との関係を責められているわけだが、当の旧統一教会からのリークとしか思えない情報も暴露されている。解散請求されて自棄のやんぱちで「傍若無人」に振舞いだしたかのようである。

 

magazine Lapizからのお知らせ

Lapiz2024春号は既報の通り3月1日から毎日一本の記事を掲載いたします。記事が長い場合、2回、3回に分割する場合もあります。
是非お読みください。

 

 

Lapiz(ラピス)はスペイン語で鉛筆の意味
地球上には、一本の鉛筆すら手にすることができない子どもが大勢いる。
貧困、紛争や戦乱、迫害などによって学ぶ機会を奪われた子どもたち。
鉛筆を持てば、宝物のように大事にし、字を覚え、絵をかくだろう。
世界中の子どたちに笑顔を。
Lapizにはそんな思いが込められている。 井上脩身Lapiz編集長

現代時評《春一番》片山通夫

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季節が冬から春へと変わる時期にはじめて吹く、南寄りの風のことを「春一番」と呼ぶらしい。気象庁によると「立春(2月4日頃)から春分(3月21日頃)までの期間に限る」と言う。また「木枯らし一番」とか日本語には季節を思わせる美しい言葉が多い。キャンディーズというグループに同名の歌がある。踊るような、また知らない人にも声をかけてみたくなる、そんなウキウキした感じの歌だった。

2024/2/15 12:22の新潟日報のニュースに「北陸で今年初の春一番」とあった。昨年より13日早いとか。気象庁によると、春一番は2024年全国で初めてだという。
能登半島地震の被害が甚大で、今も避難所生活を余儀なくされている人たちが1万4千人以上おられるという。春一番が吹いても輪島の気温は5℃から10℃の間を上下するような極端な予報である。この季節、地震があっても「三寒四温」は確実にやって来ているようだ。それでも能登半島地震をめぐる復興の足音も春一番とともに確実にやってきている。

《朝ドラ「まれ」、被災地にエール 出演者ら寄せ書き―輪島》は時事通信のニュース。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024021401157&g=soc
また「のと鉄道、一部運転再開 1カ月半ぶり、通学生ら「感謝」―石川」とも。 ⇒https://www.jiji.com/jc/article?k=2024021500185&g=ieq
石川県のニュース・速報⇒https://www.47news.jp/localnews/area-ishikawa

一方現在開かれている通常国会では「政倫審出席拒まずと自民萩生田氏」が述べたようだが、きっちりと「条件」とつけている。共同通信によると「出席の明確な基準が公表され、その対象になるのであれば」という。「条件闘争」で出席のハードルを高くするが「拒んでいない」と言うスタンスで逃げ切るつもりか。潔く無条件で出席するべきだ。狡猾としか言いようがない。

しかし国民には何の罪もないのだが、能登地震で壊滅的な被害を受けた人々の先はまだまだ見えてこない。全国の自治体からの支援はもちろん、ボランティアの懸命の努力はまだまだ続く。それに比して保身に走る政治家のなんと醜いこと。
春一番は吹いたけれど身を寄せて避難している人々に、裏金スキャンダルの政治家も少しは心を寄せて欲しい。

春よ来い。