ヒロシマ・ナガサキ

あの戦争が終わって70年経った。6日には広島で、そして9日には長崎で戦後70年の平和祈念式典が営まれた。そして15日には東京で「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、「全国戦没者追悼式」がおこなわれる。

長崎の田上富久市長は平和宣言で「被爆や戦争の記憶を次世代に語り継ぐ必要性を訴え、また参院で審議中の安全保障関連法案について、不安と懸念が広がっている」として、政府と国会に慎重な審議を求めた。そしてこのくだりを読みあげた時、静寂な会場から大きな拍手が沸き起こった。そしてその言葉に押されるように、安倍首相はあいさつの中で、広島では言わなかった「非核三原則の堅持」に言及した。

それぞれ立場の違いはあろうかと思う。しかし被爆国であるわが国が核の傘のもとで「平和に安住」することに筆者は些か違和感を覚える。と言っても、決して、核保有を言っているわけでもなく、集団的自衛権を押しているわけでもない。私はコスタリカに学ぶことから、平和を考えたいと思うのだ。人は平和ボケと言うかもしれない。良いではないか。それで人を傷つけないでまた自らを傷つけない平和ボケならば。他の民族、他の国々、特に近隣の人々と仲良くできる平和ボケならば。

戦後70年の夏。ヒロシマとナガサキの式典を見て考えた。

参考URL 法学館憲法研究所

http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20090601.html