現代時評《バベルの塔》:片山通夫

 「バベルの塔」と言う話がある。旧約聖書に出てくる。簡単に紹介する。当時人々は今と違って同じ言葉で話し、お互いの意思の疎通を図ることができた。ノアの箱舟から降りたった人々は「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」と煉瓦を積み天に届くほどの塔を作った。神は「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と言った。このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。

旧約聖書の創世記11章1-9節のエピソードだとか。

ひるがえって現代の世界は、旧約聖書の時代から変わらず、異なる言葉で話し、十分に意思の疎通が図られているとは言い難い。それは異民族間だけでなく同民族でも同様に意思の疎通を図りがたい場合が多い。コミュニケーションがとりにくい世の中になったようだ。
例えば昨年までは毎年、防災の日(関東大震災が起こった9月1日)には東京都知事は市民団体などで構成する実行委員会主催の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に、都知事名での追悼文を出していたが、今年から出さないと決めた。この関東大震災時の朝鮮人虐殺は震災の犠牲者である天災の犠牲者とは異なり、全くの人災なのだが、都知事はこれを「同じ犠牲者」と括ってしまった。
同じ日本語を使う人間同士の言葉が通じないということは、察するに「主義主張の相違」が原因だけではないと思う。相手の言うことを聞こうとしない、もしくは自己の主張だけを押し付ける、または現実(史実)を直視できない人々の声が、やたら大きくなってきた結果だと思われる。しかしそれも作られた声だと思われる。SNSなど匿名のツールが増えて来た結果だと言える。

筆者はここにも「現代のバベルの塔を築こうとする人」がいるとしか思えない。神への冒涜・・・。

言葉が通じないと言えば、安倍首相にも当てはまる。過日北朝鮮が「我が国の上空」、確かに上空だが、そこはそこには何百ともいわれる人工衛星が飛び交っている宇宙空間だ。その宇宙空間を「我が国上空」と表現することに違和感を覚えない安倍首相の感覚は、まさに「ガラパゴスなバベルの塔」そのものだ。