現代時評プラス《心の消しゴム》:鄭容順

筆者(片山)の友人に鄭容順(チョン・ヨンスン)と言う方がおられる。その名の通り彼女は在日韓国人である。新聞記者として鳴らした。その彼女が、もう何年か病に倒れて、現在はリハビリの毎日を送られている。奈良市在住だ。そんな彼女が次のような文を彼女自身のフェスブックに掲載されていたのを今朝ほど読んだ。

以下はその文であり、彼女の許可を得て転載する。

《心の消しゴム》

 8月30日(水)、気温30度、湿度64パーセント、外は曇、扇風機でもなんとか過ごしている。昨日のテレビ放送、北朝鮮のミサイル、日本列島を通過したという。号外もでた。安部首相のいっていることが本当なのか。ロシアのプーチン大統領は米韓の訓練が原因ともいっている。何が本当か分からない。私はいつも傍観しているだけだが、北朝鮮支持者の人たちのフエスブックの画面を見ると何も起こらないようなことも書きこまれている。何が本当か分からない。友人が言うように冷静に見極わなければならない。

 父親は生前、韓半島の南北分断にとんでもないことが起きると危惧していた。私はこの話を聞いた時、韓国に何も関心がなかったので黙っていた。今から考えるとこんなことだったのかなと、思い、もっと話をすればよかったと後悔している。

 私は1944年生れ。日本の敗戦の1年前に生まれている。20年に敗戦して母親の家族は21年に韓国に戻った。母親だけ日本に残った。私がいたために日本に残った。私がいなかったら母親は家族と一緒に韓国に戻っていただろう。

そして父親もまた思う人と再婚していたかもしれない。

母親と父親は水と油、父親は教育を受けているが母親は無学だった。このことからも父親は母親に不満だっただろう。

 私がいたために母親が日本に残った。母親も父親も私がいなかったらと思ったこともあつたと思う。そんなこともあったのか私は母親に家のことを手伝わされてこき使われた思い出しかない。体の弱い妹は溺愛した。そのぶん、私は祖母には可愛がってもらった。妹はまた勉強もできたので父親は妹を褒めていたが私は褒められたことがない。いつも何かしら注意されていた。少し話すと「女は黙って」といって会話をさせなかった。

 私は今も小学・中学の同級生にあうと「無口なヒラカワが何で今は6つも口があるねん」と、よくしゃべるので感心している。高校の同級生も「あんた、うるさいほど、しゃべるようになったな」という。そんなことで父親の反発を毎日、日記に書いて心の消しゴムにしてきた。それがいつしか、書くことが好きになって仕事につながった。
 いつも父親にはそう好感をもつていなかった。しかし大人になって振り返ると人生、生きるための基礎は教えてくれていた。京都の会社に勤務していた父親は、列車の中で読む新聞は家に持って帰ってきた。そしていつも読み終わった新聞、私が小学4年頃から食卓の私がいつも座る横に置いていた。一言も新聞を読みなさいとはいわなかったが、5年あたりになると手に取って新聞を読んでいた。そのときに見た九州の大水害の記事も記憶に残っている。中学の時は南極に残されたタローとジローの生存の記事を読んで涙を流していた。

 こんなことの積み重ねで活字が好きになって本も好きで新聞も好きで未だに新聞を読まなかったら落ちつかない。現在はパソコンやスマートフオンでニュースも見られる。しかし紙の活字から入るのは心が噛み砕いて入ってくる。

 日本の学校の子供たちの学力テストが行われて、新聞を読んでいる子供は読解力が付くので正答率が高いという結果になっていたと、新聞記事にでていた。

 どんなに世の中、便利になっても紙の媒体は重要と思っている。

 昨日は夫に夕食のリクエストをした。すき焼風の煮込みをしてもらった。焼肉より好きである。豆腐の代わりに厚揚げを入れてもらった。豆腐1丁で80カロリーだが厚揚げは約200カロリーもある。それでも厚揚げが好きなので厚揚げを入れてもらった。久しぶりに食べたすき焼き風の煮込み、美味しかった。

 

如何だろうか。おそらくベッドの上で書かれたものだろうと思うが「彼女の半生のエッセンスと今」が見事に書き込まれていると思うのは、筆者だけだろうか?この短い文から垣間見られる彼女の半生は、おそらく筆者にとっては想像もつかない人生だったのではと思うばかりだ。彼女の偉大なところは自身の「心の消しゴム」を持っていることだと思う。

こんな彼女は筆者にとってはとても大事な友人である。(片山通夫記)