現代時評プラス《慰霊の日におもう》:片山通夫

6月23日、つまり昨日は沖縄の慰霊の日だった。何年か前にこの日の取材に出かけたことがあった。摩文仁の丘にたたずんで海を見ていると、当時のことを描いた絵や写真を思い出したものだ。海にはびっしりと連合軍(アメリカ?)の艦船が浮かんでいた。

「鉄の暴風」と言う言葉が沖縄にはある。その意は次の通りだ。

第二次大戦末期の沖縄戦で、約3か月にわたって米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けたこと。無差別に多量の砲弾が撃ち込まれるさまを暴風にたとえたもの。(デジタル大辞泉)

沖縄はあの戦争で20万余の犠牲者をだすという惨劇に見舞われた。

沖縄では6月23日に戦争は終結した。つまり沖縄だけが先に降伏したのである。歴史に「もし」は禁物だが、この日に日本が降伏していれば、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下はなかったのにと思う。すでに東京大空襲(3月)で10万余の犠牲者を出していたのに。
「鉄の暴風」の犠牲者たちが眠るのは摩文仁の丘にある「平和の礎」だ。今年も新たに54人の名前が刻まれた。この新たに刻まれた54人の方々の中に、朝鮮半島出身者(韓国籍)が15人含まれているという。「平和の礎」に刻まれている朝鮮半島出身者は462人となった。

なぜ、朝鮮半島出身者がいるのかと言うと、日本の植民地だった朝鮮半島から、戦争中、多くの人たちが沖縄に連行された。男性は「軍夫」として、壕掘りや資材調達、飛行場建設などに従事させられ、女性は日本軍の「慰安婦」として、県内各地に設置された慰安所に配置された。(沖縄タイムス・6月24日社説より)

沖縄では「平和の礎」に名を刻まねばならない人を求めて、70年が過ぎた今なお活動は続けられている。同社説は言う。

 今回の15人という追加刻銘数は、遺族の申し出を受けて、NPO法人沖縄恨之碑の会など日韓両国の支援団体が乏しい資料や証言を発掘し、県や県議会に働きかけ、ようやくたどり着くことのできた犠牲者の数である。

   沖縄では基地問題とは別に戦争はこんなところでもまだ終わっていないのである。