現代時評《テロ等準備罪の恐怖》:井上脩身

政府はテロ等準備罪の新設を3月中にも閣議決定する方針という。組織的犯罪集団がテロなどの犯罪の合意をし、準備行為をしたことを処罰するというものだ。05年に政府が提出し、廃案になった共謀罪の構成要件を絞り込んだものだが、その根底に流れているのは「共謀段階で一網打尽にする」という先手壊滅主義だ。政府は犯罪集団の具体例としてテロ組織のほか暴力団などを挙げ、「普通の民間団体は対象にならない」としている。だが、列車転覆の共謀をしたとして労働組合員が殺人罪に問われた松川事件の事例をみれば、政府批判グループの弾圧のために「共謀」を悪用する恐れがあると考えるべきだ。
 松川事件は1949年8月、福島市松川町の東北線のカーブで発生。青森発上野行き旅客列車が走行中、先頭の蒸気機関車が脱線転覆、荷物車、郵便車、客車の計5両も脱線し、機関車の乗務員3人が死亡した。レール1本が外されていることから、捜査当局は「国鉄大量人員整理に反対する団体の計画的な犯行」と判断。東芝松川工場労組と国鉄労働組合(いずれも当時)の労組員が共謀したうえで犯行に及んだとして、東芝側、国労側各10人の計20人を殺人などで起訴した。内訳は共謀首謀者6人、共謀参加者4人、実行者(補助者、アリバイ工作者を含む)10人。

刑法は共同正犯について「二人以上犯罪を実行した者」と規定(第60条)。共謀共同正犯についての規定はなく、罪刑法定主義の原則によって共謀しただけでは犯罪にならない。しかし、「暴力団員が犯罪を行った際、黒幕の組長が正犯として罰せられないのは問題」との声が強まり、「共謀共同正犯」が認められるようになった。

その共同正犯の理論を、検察側は松川事件で暴力団員とは真逆である労組員に適用したのだ。第一審では死刑、無期懲役各5人など全員が実刑を言い渡された。差し戻し控訴審段階で被告人が団体交渉に出席したことを示す証拠(諏訪メモ)を検察側が隠していたことが発覚、共謀したとされる時刻のアリバイが証明されたことなどから、最高裁で全員の無罪が確定した。

こうした推移から同事件は「冤罪を生みだす権力犯罪の典型」とされているが、見逃してならないのは「共謀」が逮捕・起訴の手段に使われた点だ。共謀は犯罪を起こすための合意(黙示も含む)だが、合意をメモに残す者がいるはずはなく、ほとんどの場合、証拠は自白しかない。松川事件では傷害の別件で逮捕された少年の自白に基づいて、芋づる式に逮捕された。共謀の立証は、虚偽自白の強要という違法捜査の裏返しでもある。

今国会で政府が提案しようとしているテロ等準備罪の要件は「重大な犯罪(4年以上の懲役、禁固の刑が定められている罪)の実行を共同の目的として集まった集団」が「具体的現実的な合意をし、犯罪実行の準備行為をする」ことだ。対象犯罪はテロの実行や薬物などの5分類で計277種類にのぼる

この法案の文言だけをみれば、共謀だけで準備をしなければ罰せられないように読める。だが、共謀と同様、予備の範囲も極めてあいまいだ。例えば、A、Bの二人がCをナイフで刺殺しようと話し合った(共謀)とされた場合。Aがたまたまナイフを所持していれば即予備に当たるだろう。Bが山好きで登山ナイフを購入すれば、予備行為とされるに違いない。

このように犯罪の実行行為の前段階は曖昧模糊な状態なのだ。A、Bが本気でCを殺す気でナイフを用意した場合と、冗談でナイフを手に「Cをやっつけよう」と言った場合の差は外形的にはほとんどない。刑法が予備を例外的にしか規定しなかったのは当然である。

 

政府は2000年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」の締結のためにテロ等準備罪が必要、と説明。安倍晋三首相は「これが成立しなければオリンピックができない」と、さも五輪開催の条件のような言い方をしている。その一方で、「民間の団体でも犯罪を行う団体に一変した場合は処罰の対象になる」と国会で述べた。

松川事件を思い起こせば、安倍首相の真の狙いが見える。列車転覆事故は今なら「組織的テロ」と言われるだろう。もし今同じ事件が起きれば、労働組合はテロを行う組織的犯罪集団にでっち上げられかねないのだ。

政府に腹が立つことがあっても、それをグループ内で冗談としても言えない時代になろうとしている。