[:ja]現代時評《沖縄差別暴言を容認する松井知事》:井上脩身[:]

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沖縄県の米軍北部訓練場(東村、国頭村)のヘリコプター離着帯(ヘリパッド)の建設に反対して現地で抗議する住民に対し、大阪府警から派遣された20代の機動隊員2人が10月18日、「土人」「シナ人」などと侮蔑的な言葉を吐いた。翁長雄志・沖縄県知事が「言語道断」と激しく憤ったのに対し、松井一郎・大阪府知事は「出張ご苦労さま」とねぎらい、事実上、差別言辞を容認した。「沖縄は差別されている」との沖縄の人たちの訴えを、本土の政治家が真摯に受け止めようとしない現状では、沖縄問題はねじれるばかりである。
 北部訓練場は面積約78平方キロ、米軍が1957年に接収した海兵隊の世界でただ一つのジャングル戦闘訓練場だ。深い山々が広がり、国の天然記念物に指定されている絶滅危惧種、ヤンバルクイナが生息する自然の宝庫でもある。ベトナム戦争中の1964年、米軍は東村高江の山岳地をベトナム村にみたてて模擬ゲリラ戦を実施。地元住民を徴用し、ヘリによるベトコン掃討訓練を行った。

96年、北部訓練場の半分が返還されることになり、2007年、国は返還地域にあるヘリパッドを高江地区近くの6カ所に移設ことを決定。地元住民が「村がまたも米軍の標的にされる」などとして、現地に抗議の座り込みをしたところ、08年、沖縄防衛局が子どもを含む15人に対する「通行妨害禁止の仮処分を沖縄地裁に申し立てた。同地裁は2人に対する仮処分を決定したことを受け、同防衛局が2人に対する本訴を提起。同地裁は12年、1人について通行妨害禁止を命じた。

国のこうした強硬な態度を背景に、これまでに2カ所のヘリパッドが完成。オスプレイが離発着し、住民感情を一層逆なでした。14年3月から工事は中断されていたが、今年7月、国は工事の再開に踏み切り、全国各地から機動隊を集めて、座り込む地元住民の排除に乗り出した。こうして警備の警察官と地元住民がもみ合うなか、問題の差別事件が起きた。

報道によると、大阪府警の機動隊の巡査部長が「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」と暴言を吐き、巡査部長は「黙れ、こら、シナ人」と言い放った。翁長知事は「言語道断で到底許されない」と沖縄県民の怒りを表したが、松井知事は自身のツイッターで「表現が不適切だとしても、府警の警官が一生懸命職務を遂行しているのがわかった」とかばった。(10月21日付毎日新聞)

大阪府警の機動隊員は「差別的な意味とは知らなかった」と、公務員の自覚すらないお粗末さを露呈。それにもまして問題なのは日本維新の会代表でもある松井知事の差別体質だ。同知事は「警備している人たちは沖縄のためにやっている」とまで言っており、沖縄県民感情を全く理解していないことを如実に示した。沖縄の人たちが受けてきた差別の歴史を全く学んだことがないのであろう。

せめて大阪の知事として1903(明治36)年3月、大阪で開かれた政府主催の第5回内国勧業博覧会での見世物事件くらいは知っておいてもらいたい。会場に並ぶさまざまな見世物小屋の一つ「学術人類館」で、アイヌ、台湾の先住民、琉球人(2人の女性)、朝鮮人、中国人などが見世物にされた。韓国や中国からの留学生から抗議の声が上がり、「琉球新報」の設立にかかわった新聞人、太田朝敷が「隣国の体面を辱める」と中止を求めた結果、琉球女性の展示は取りやめになった。(新城俊昭著『琉球・沖縄史』)

後に首里市長になる太田の主張には「琉球が台湾先住民族やアイヌと同一視されるのは侮辱」という、台湾やアイヌの人たちにとって許しがたい差別観が横たわっているが、当時の政府は沖縄の人たちも含めてこうした日本人でない人たちへの強い差別意識をもっていたのだ。14年、沖縄県知事になった石川県出身の大味久五郎が「琉球人に高等教育はいらない」と述べ、第二中学校の廃校を提案したことにみられるように、戦前、沖縄には大学はおろか高等学校、専門学校すらなかった。(松島泰勝『琉球独立論』)

戦時中、「本土の捨石」として沖縄戦の渦中に放り込まれ、住民9万4000人が犠牲になった(『琉球・沖縄史』)。戦後、米軍の「太平洋の要石」として、農地を取り上げられ、はてはベトコン役を強要された沖縄の人たち。全国の米軍施設の74%が沖縄に集中するなか、なぜ墜落の恐れがあるオスプレイを押しつけられねばならないのか。沖縄県民が「沖縄は差別され続けている」と怒りの声を上げるのは当然だろう。その声に耳を傾けようともしない松井氏は政治家として失格である。知事辞任を求めたい。[:]