現代時評《知事の原発停止申し入れ》:井上脩身

鹿児島県の三反園訓知事は8月26日、九州電力の瓜生道明社長に、同県内の川内原発を一時停止し、再点検するよう申し入れた。同原発1、2号機は新規制基準による審査を経て2015年に再稼働したが、三反園知事は「審査パス原発」にノーを突きつけた形だ。九電は「知事に原発停止権限はない」としている。だが、「住民の健康と安全を守る」という知事として当然の要請を九電が拒否して運転を続行するならば、原発が「安全軽視の経済優先」を立証することになろう。
 報道によると、三反園知事は県庁で瓜生社長と面会し、「熊本地震を受け、原発は本当に大丈夫なのかとの不安の声も多くある。県民のそうした声に応える意味からも、原発を一旦止めて、再点検、再検証してほしい」と要請した。(8月27日付毎日新聞)

同原発1号機は1984年、2号機は翌85年、運転を開始。福島事故が起きて運転を停止していた2014年、運転差し止めを求める仮処分の申し立てが住民23人よってなされた。原告側は「耐震安全性が不十分で、大地震によって放射能漏れ事故が起こりかねない」「近隣の火山で大規模な噴火が起きた場合、過酷事故が起こる恐れがある」などと主張した。

しかし、原子力規制委員会は13年7月、国が定めた新規制基準に基づいて審査をパスさせ、1号機は15年8月、2号機は同9月に再稼働した。新規制基準による再稼働は初めてのケースである。

こうした原発政策に人格権尊重の立場から強い疑義がもたれている。人格権は、憲法が定める平和的生存権(前文)、幸福追求権(第13条)、生存権の保障(第25条)から導き出される権利だ。人が社会生活上有する人格的利益を内容とし、具体的には、環境汚染により健康を損なわれることがないことなどを指す。

人格権の保障を前面に打ちだしたのが14年5月の福井地裁決定である。関西電力大飯原発3、4号機について樋口英明裁判長は「原発の稼働は経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分より劣位に置かれる」とし、運転の停止を命じた。さらに今年3月、大津地裁の山本善彦裁判長は関電高浜原発3、4号機について、「住民たちの)人格権が侵害される恐れが高いにもかかわらず、安全性が確保されていることについての説明が不十分」として、住民側の運転差し止め仮処分の申し立てを認める決定をした。稼働中の原発の運転を停止させる仮処分は初めてで、同原発3、4号機は現在運転を停止している。

こうした司法の流れを受けて三反園鹿児島県知事は、地方公共団体の代表として運転の一時停止を申し入れたものと思われる。

九電の瓜生社長は三反園知事との会見後の記者会見で、定期点検後の地元同意について「法律や安全協定の中にはその文言はどこにもない」と述べ、知事に運転再開の可否を判断する権限がないことを指摘。政府も、前知事の同意を得ている、として運転を続行する構えだ。

だが重要なのは、三反園知事の申し入れが地方自治法の本旨にのっとったものであることだ。同法には「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることが基本」(第1条の2)と定められている。これは憲法の規定を受けて、地方公共団体の住民の生存権の保障を義務づけたものとみられ、人格権尊重が地方自治の基本理念であることを示たもの、といえるだろう。

地震によって発生した津波で福島第1原発事故が起きた事実に照らせば、地震が頻発し火山もかかえる鹿児島県の知事として、県内の原発に万一の事故が起きないか、を危惧するのは当然であろう。その不安が払しょくされない限り、「人格権尊重」の立場から原発の運転停止を求めるのは、知事の責務ですらある。

地方自治法は「住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本」と定めている。原発が国策であろうとなかろうと、原発立地自治体として、事故から住民を守ることが身近な行政でなくて何であろう。いうまでもないが、知事は、原発をやみくもに進める安部晋三首相の走狗であってはならないのである。