「大住は大隅!?」その3

r_DSCF4091 r_DSCF4102さて大住の月読神社だが何故この地が大住と呼ぶようになったかと言うと・・・。

 

 

 

 

 

大住隼人舞(京田辺道中記から)

 10月14日の夕刻、月読神社・天津神社の宵宮に奉納されるこの舞は、約1300年前に大隅隼人が朝廷に仕え、宮廷で演じたとされる古代芸能を復活させたもの。岩戸神楽とともに日本民俗芸能の源流といわれている。四方に笹つきの竹を立て、縄を張りめぐらせた舞台には、正面の大竹に天蓋がつけられ、5色の幡を垂らし、米や塩、野菜などが備えられる。海幸彦・山幸彦の神話が起源  舞人は地元の中学生の子どもたち13名。古代の衣装を身にまとい、手には剣や盾などの武具、扇、鈴を持ち、太鼓や龍笛の音に合わせて踊る。別の小・中学生による舞は「お祓いの舞」「神招の舞」など6つからなり、『日本書紀』第二巻神代下巻第十段、海宮遊幸の章にある、海で溺れているところを山幸彦に助けられた海幸彦が、山幸彦への服従を誓い、その証として永久に俳優(わざおぎ)たらんと、水に溺れている様子を演武したものと伝わる。