不条理ショートストーリー 13-2:作:白石阿光

「お前は父親の無念を果たしたいのかね」

それはありません。第一、私と父は別な人間です。思想も違うし、立場も違う。

「ほう、どんな思想だ」

父は猫の額ほどの土地にしがみつくプチブルです。上昇志向が権力にからみとられ、人民を裏切ることになったでしょう。私は無産者のために戦います。 「古くさい言葉をよく知ってるな。勇ましいのはいいが、実際にこれだけの人がお前の父親の死に号泣しているのはなぜじゃ。お前の言う‘’無産者‘’のおじいさんが、『生活に困っていたら、庭の、どうでもいいツツジの木を現金で買ってくれた』と喜んでいたが、お前はそれをどう考える?」

私もその家族の無産者の人にかわいがられ、いつも文丹をもらいました。その家族は、平木で葺いた屋根に石を乗せた家に住んでいました。学校の社会科の教科書には台風が多い島の生活として、そういう家の写真が載っていましたが、人が住む家で石が乗っている家はそこくらいしかありませんでした。どこも瓦葺きの家にしたい、私はそう思います。

「お前の父親もそう言っておった」

それは、見栄からでしょう。本当にそう思うなら社会の仕組みを変えなきゃだめです。

「その無産者の家は、昔は羽振りがよかったらしい。没落したのは自業自得だと言う人もいる」

どんな人でも最低限の生活をする権利があります。私はどんな経緯であれ、弱い人の立場に立ちます。

「いつの間にそんな強い人間になったのかのう。そもそも、お前と父親はつながっている。死んだら人は土に還り、やがて目に見えぬ小さな粒子となって宇宙に拡散するが、お前の体の中にはプログラミングされた父親と同じ細胞と魂が組み込まれているのだよ」

それは遺伝子の話でしょ。顔形や骨格は似てます。でも、性格や思想は別です。私は私の道を歩きます。「私の前に道はない。私の後に道はできる」です。

「そう言い切れるわけでもなかろう。たとえば、ドーパミン受容体D1遺伝子は第五染色体の長腕に存在するし、ドーパミン受容体D2遺伝子は第十一染色体の長腕、ドーパミン受容体D3遺伝子は第三染色体の長腕、ドーパミン受容体D4遺伝子は第十一染色体の短腕、ドーパミン受容体D5遺伝子は第四染色体の短腕にあるが、そのDNAのすべてにおいて、すべての塩基配列が、お前と父親は同じなのだ。それは、どんなときにイライラし、どんなときにものに動じないか、どんなときに落ち込み、どんなときに明るく振る舞うか、お前も父親もそう変わらないということなのだよ。実は、遺伝子が乗っていないと言われている領域の微細な構造も含め、DNAのなかの複雑な塩基配列の交信が魂となって共振しているのをお前は知らないだろう。そこに父親の魂が残っているし、お前の魂の一部ともなっているのだ」

私は人に言われてその通りにするのは嫌いなんです。プチブル的な親の考えが私の考えの中に入り込んでいるわけがない。大体、あなたにつべこべ言われてその通りにすることはないんです。

「では自分でよく考えるんだな」

ほらまた私にそうやって指示するでしょ。それが嫌なんです。考えろと言われて考えること自体が、考えることの本質から離れている。完全に独立した自分自身の考えを打ち立てないと親を乗り越えることもできないと思います。

「お前は一体誰と話をしているつもりなんだ。お前と私のDNAは完全に一致している。すなわち、私はお前自身、お前は私そのものなんだよ」

なら、ほっておいてください。実際、私は今、何の議論をしているかわからなくなっているんです。問題は何でしたっけ?

「お前の前に未知があり、お前の後に無知が残る--そういうことじゃ」

・・・(そして、「非条理ショートストーリー06」にもどる)

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ここに“楽器”があります。まだ名前はついていません。何故ならまだこの世に生まれてないからです。
ここでは仮に“吊り木琴”と呼んでおきましょう。

どこまでも広がる草原に、無数の糸が垂れており、その先には3本ずつ短い棒がぶら下がっています。

竹でしょうか、真鍮でしょうか、それとも純金。いや、ガラスのように透き通っているようにも見えます。きらきら輝き、草原の緑をきらめかせた。

棒でしゃくりあげてみます。

♪# ガシャグシャピシャッキーン

棒の先に付いた球で叩いてみましょう。

♪# バシャビシャポシャッツーン

草原の東西南北に大きく枝を広げたガジュマルの巨樹が遠く見渡せる岩山が中央に鋭い先端を見せてそびえ、その上に髭の男が立ち上がりました。背伸びをし、手を上げ、指揮棒をまっすぐに降り下ろしました。

♪#  バシャグシャピシャッチーン

大きな音がしました。いえいえ、それは壮大かつ厳かなる一大音楽、総合芸術の終わることのない始まりだったのです。

指揮者は激しく指揮棒を振り回しました。その足元は尖った岩でした。男は飛び上がったとたん、足を踏み外し、後ろ向きに倒れ込んだかと思うと、崖を背中にしながらまっ逆さまに落ちていきました。男は重力のままに加速され、やがて体重とは無関係に終端速度に達し、等速落下運動に変わりました。男にはフワッとした感覚とともに空中に浮いた快感を覚えました。

男はゆっくりと手を広げ、タクトを左右させました。

♪#ピチャップチャッポッチャーン

吊り木琴が物音を立てました。大きく強くタクトを振ると、大きく強い物音がしました。小さくやさしく振ると小さくて弱い物音がしました。

男はタクトを振り続けました。ゆっくり、弱く、速く、強く、やさしくたおやかに、豪快にたくましく…………。すると、次第に物音のリズムが揃い始め、徐々に和音を作っていきました。やがて無数の吊り木琴は壮大なオーケストラになっていました。そよ風と木の葉のおしゃべり、小鳥のさえずり、もぐらのあくび、蛇のダンス、雷の雄叫び--何でも音楽になり、草原を駆け回りました。

音はやがて無限の微細粒子(音子)となり、次から次へと誕生し、地球上を埋め尽くしました。それはやがて反応しあい、まろやかな弱いメロディのときには小さな粒子に、空を轟かせそうな強い音が響くときには大きな粒子になりました。粒子が増えるにつれて音楽は小さくなりました。そして、私の耳にも聞こえなくなりました。

そのときにはすでに、地球には生き物が棲息するに十分な気体に満たされていました。今ではそれは“空気”と呼ばれています。しかし、残念ながら空気は宇宙を満たすまでには至りませんでした。薄皮饅頭の皮のように、頼りなげに地球を覆っているだけでした。

音楽は演奏され続けています。その楽譜には終わりという文字がないのです。しかし、生き物たちはその音楽が聞こえません。

音楽はいつまでも続きます。たとえ聞こえなくても、それを体か心のどこかで受けているはずの生き物たちがいます。生き物たちがいなくなったとき、その音楽は終わったと言えるのかもしれません。

いえ、それでも音楽は続きます。生き物たちがいなくなったとき、音楽は物音となって宇宙に飛び出していくのです。

<男は物体となって落ち続けました。>

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(了)