photo essay 《国友村物語》:片山通夫

Kunitomo1832Telescope
すでにお気づきのように、「国友」という名は単なる地名に留まらず、国友の「国友鍛冶」や、国友で生産される銃「国友筒」のことも示した。鍛冶銘は「国友」姓で統一されて「江州 国友藤兵衛重恭」などと称する。つまり村が今でいうところの工業団地的性格を持ち、銃身など主要部分を作る鍛冶のほかに、銃床を作る「台師」、「からくり」と呼ばれる機関部や引き金、各種の金属部品それに銃身や地板(機関部基板)等に施す装飾の象嵌等にそれぞれの専門職人が居り、分業体制がとられていた。また優秀な人物も輩出している。なかでも国友一貫斎という人物は、銃はもちろんのこと、天保3年(1832年)頃から反射式であるグレゴリー式望遠鏡(写真)を製作したという。そのほかにも玉燈(照明器具)、御懐中筆(万年筆、毛筆ペン)、鋼弩、神鏡(魔鏡)などを発明もしくは改良した。

写真下は国友一貫斎旧居とその前の「星を見つめる少年」像DSCF3561_R_RDSCF3560_R_R