現代時評《銃剣とブルドーザーと性犯罪》:井上脩身

沖縄県の20歳の女性が殺された事件で逮捕された米軍の軍属で元海兵隊員の男の供述から、女性は強姦されたうえで刺殺された疑いが強まり、沖縄の人たちの米軍への怒りは頂点に達している。沖縄の怒りは、女性の命と尊厳が蹂躙されたからだけではない。
 戦後、米軍によって、先祖から受け継いだ土地が強奪されたことへの怒りが今もDNAとなって脈打っているのだ。殺された女性の音信が途絶えた4月28日は、沖縄の「屈辱の日」だ。政府は米側に形ばかりの抗議をしたが、辺野古基地建設は強行する構えだ。ウチナンチュとしての魂が蹂躙された人たちの屈辱に思いをよせることなく、ひたすらアメリカの顔色をうかがう安倍政権である。沖縄問題解決への道は遠い。

報道によると、同県うるま市の会社員の女性(20)は4月28日午後8時ころ、スマホの無料送信アプリ「LINE」で、同居の男性に「ウオーキンングする」と送信したのを最後に、行方がわからなくなった。防犯カメラに映った米軍関係の車両からシンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)が浮かび上がり、その供述から女性の遺体が発見。同県警はシンザト容疑者を死体遺棄容疑で逮捕した。その後の調べで、県警はシンザト容疑者が女性を背後から襲って首を絞めて強姦し、ナイフで刺殺した、とみている。

1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効し、奄美・沖縄は日本から切り離されて米軍の施政権下に置かれた。この日を沖縄では「屈辱の日」と、現在でも反基地運動団体が集会を行っている。被害女性がこの日を最後に行方知れずになったのは単なる偶然だが、不幸にして彼女の屈辱の時を迎えようとしていた。

沖縄を施政権下に置いたアメリカは沖縄を「防共の砦」と位置付けて一大要塞の島にすることとし、翌53年4月、「土地収用令」を発令。基地を造るために無理やり土地を接収することを図ったもので、立ち退きを拒否した農民の前で、家ごと土地をブルドーザーで奪い取った(沖縄歴史教育研究会編『琉球・沖縄史』)。こうした暴力的な土地接収を、沖縄の人たちは「銃剣とブルドーザー」と呼んで、反米軍感情を募らせ、56年、土地を守る4原則を掲げて、島ぐるみ土地闘争を繰り広げた。

こうしたなか、55年9月、嘉手納町で6歳の女児が米兵に暴行されて殺害される事件が発生。その後も68年に読谷村で女性が殺害されるなどの凶悪事件が続発。73年3月、沖縄市で女性が米兵に殺され、本土復帰(72年)によっても米兵の体質は変わらないことが判明した。95年9月、県北部で3人の小学女児が米兵に拉致され、暴行される事件が起き、県民総決起大会に8万5千人が集まり、米軍に激しく抗議した。

こうした経過のうえでの今回の事件である。沖縄の人たちにとって、「銃剣とブルドーザー」で先祖からの土地を蹂躙した悪行と、「ナイフと車」で女性を襲って蹂躙する悪行は同根一体なのであろう。事件後、シンザト容疑者が勤めていた嘉手納基地の前で住民たちが「基地は沖縄から出ていけ」と悲痛な叫び声を上げたのは、その象徴的な現れである。

政府はこの事件と辺野古基地建設は別問題、とする。菅義偉官房長官は「世界一危険な普天間から辺野古に移設するのは、住民の安全のため」と述べ、辺野古問題の原点は96年の普天間返還日米合意だと強調する。一方、翁長雄志沖縄県知事は、辺野古問題の原点は「銃剣とブルドーザー」だとして、普天間返還は当然のことで、辺野古移設は断じて認めない、との強い姿勢を貫いている。

宜野湾市の住宅密集地にある普天間基地内をネット越しにのぞくと、沖縄伝統の立派な亀甲墓が数多くあることに驚く。米軍は先祖伝来の墓まで容赦なく囲いこんだのだ。翁長氏が辺野古問題の原点は「銃剣とブルドーザー」というのは当然だろう。奪った犯人に奪った物の返還させる。その際に、代わりの物を渡す義務があるはずはなく、むしろそれは正義に反するのだ。

いかに安倍首相といえども、女性を蹂躙した犯人は許せないと思っているだろう。犯罪を許すことは正義に反するとも考えているだろう。「普天間移設」という名の辺野古建設もまた不正義なのではないか。沖縄戦後史を少しでも学ぶならば、これくらいの想像力は持てるはずだ。「凶悪事件の再発防止」しか口にできない首相には辞めてもらうしかない。