不条理ショートストーリー09《グレートジャーニー後予測のための局地的観察録抜粋「人は何処を目指すのか」》

作:白石阿光

「さあ、行くぞ」

「チャン、いつもより遠くまで来てるよ。どこまで行くの?」

「行くも帰るもない。食べるものがあるところが俺たちの居場所なんだよ。獲物を求めて行くだけだ」

「でも目の前は砂漠だけ。獲物はいないよ」

「ここを越えるんだ。その先はパラダイスだ。“希望”を持て!」

「希望?  希望って何。初めてだよ、そういうこと聞いたのは」

「そういえば、俺も初めて口にした。希望とはなんだろう。もやもやっとしているが、なんかほろ苦くて、やさしい感じもして、大木の下にいるようでもあり、青空が広がっていて、そよ風が心に吹いてくる。そのくせやたら強くて揺るがない。大雨も大風もみんな乗り越えられるような気がする。たぶん、俺たちの心を支えてくれているんだろう」

「“心”って?」

「おお、それもいま初めて出てきた。次々に“何か”が湧いてくるんだ」

「よくわからないけど、新しい“言葉”を聞くと、よし行こう、って気持ちになるよ」

「おお、それだ! これは言葉なんだ。天が俺たちにくれた宝物。それが言葉だ。俺たちの魂なんだ」

「魂、心、希望…‥。言葉…‥」

「じゃあ、俺は何だ。俺たちは何だ。そうだ。俺は“ヒト”だ、俺たちは“人間”だ。これから俺たちは自分たちのことを“人間”と呼ぼう」

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

芝居はまだ続いていた。老人はそこで席を立った。そして、つぶやいた。

「なぜ人は地球上にはびこっているのか」

 

何日か前に孫が言った。

「おじいちゃん、どうしてカンガルーはオーストラリアにしかいないのに、人間は地球上のどこにでもいるの?」

「そうだね。どうしてなんだろうね」

「おじいちゃん、教えてよ。だって、おじいちゃんは物知りなんでしょ」

「う~ん。それはこの次ね…‥」

 

「…‥。そう言えば『グレートジャーニー』っていう芝居がかかっているそうだ。それを見てみるか…‥」

 

第1幕の『希望』が終わり、第2幕『欲望』が始まったところで、男は席に戻った。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「さあ、行くぞ」

「チャン、どこへ行くの?」

「北だ」

「どうして北へ行くの?」

「ここは食べ物が少ない。争いも増えた。だが、北へ行けば獲物も多い」

「どうしてわかるの?」

「かつて、ここで争いに負けた人間が北へ向かった。だが、死んだやつも多いらしい。途中で諦めて帰ってきた人間も多かった。だが、いつしか帰って来る人間がいなくなった。ということは、生きられる土地を見つけたということだ。俺にはわかる」

「じゃあ、北ではお腹いっぱいお肉を食べられるね」

「そうだ。だが、それには仲間を作らなければならん。バラバラだと殺される。それはここでも北でも同じことだろう」

「じゃあ、エレクトゥスにもネアンデルタールの人にも声をかけてくるよ」

「待て、あの毛深い連中は人間じゃあない。自分たちは人間だと言っているが、人間って何かわかっているわけではない。わずかな食糧を奪い合っている愚かな動物だ」

「でも仲間で集まってるし、力も強いよ」

「そうだ、最初に火を使ったのもあいつらだし、研いだ石で狩りもする。だが、それだけだ。喧嘩するだけの言葉も持ち合わせていない。だから集団でいられるとも言える。しゃくだが、俺たちは戦えば負ける。北だ。北へ行けば俺たちの世界が待ってるんだ」

「いっぱいお肉が食べられるんだね」

「俺たちも、肉をたくさん食べたい仲間を多く集めてグループを作るんだ。自分たちを守るためだ。そうだ、それを“民族”と呼ぼう」

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

老人はすでに知っていた。動物のヒトは、700万年前にサルの祖先から別れたことを。そして、そこはアフリカであったろう。

老人は知っていた。現代のヒトは、ホモサピエンスという種であることを。

猿人、旧人、新人と枝分かれし、火や言語を操るようになり、ホモサピエンスとして進化と拡大を続け、数十万年前から何回となく移住の波を繰返し、数万年前には全ヨーロッパに広がり、やがてベーリング海峡を越えてアメリカ大陸へ、東アジアから海へ乗り出して太平洋の島々へ、と移って、ついに地球上をホモサピエンスがはびこる星にしたことを。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「さあ、行くぞ」

「チャン、どこへ行くの?」

「さあ、わからん。だが、いい予感がするのだ。我々は考える力を得た。想像することもできる。想定外のことでも、その場の判断で困難を乗り切ることができるようになったのだ。恐れることはない。まずは、北に向かって出発だ」

「どうして北なの?」

「わからん。なぜかそう思うのだ。北にはきっと食べものがたくさんある。獣も多いはずだ」

「どうしてわかるの?」

「わからん。だが、ここでは食べ物や水を奪い合って争いが増えた。同じ人間なのに民族が違うといがみあっている。だが、我が民族は考える力を持った。その力が指し示しているのだ、北へ行け、と。」

「北へ行けばどうなるの?」

「殺し合いをしなくても平和に生きる社会を作るんだ。ここでは、人間だけが増え、他の生き物がどうなろうとかまわなかったが、北では、生きとし生きるものすべてを慈しみ、すべての生き物が分相応に生きるようにする。わしの考える力はそう言っている」

「そう言えば、かつて北へ向かった民族がいた。あの人たちはいい人たちだった。争いを好まず、ものを分け合い、助け合って生きていた。力の強い民族に負けて北へ行ったが、今でも同じ生活をしているはずだ」

「一緒に暮らせるの?」

「あの人たちは、よそ者を受け入れてくれる。たとえ自分たちの食べるものが少なくても分けあう“精神”を持っている」

「精神ってなあに? 初めて聞いたよ」

「おお、そうか。言葉が降りてきたんだ。その精神が我々を呼んでいるのかもしれない。我々は前に進むんだ。未知に向かって進む心-それを“勇気”と呼ぼう。考える力に加えて決断する力を我々は身につけたのだ。みんなが一つの心でつながるんだ」

「精神、勇気、決断。そして心と心をつなぐんだね。なんか、目の前が明るくなってきたぞ。さあ、北へ行こう」

「よし、そうしよう。我々は、着物という、寒さを防ぐものも発明したし、火を自由に操る技も磨いた。北の人たちも喜んで迎え入れてくれるはずだ」

「夜が明ける前に出発しよう」

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

第3幕『願望』は、人間が次々に理想を獲得するシーンが続いた。そして、老人は知っていた。それが理想と現実の狭間で揺れる人間の葛藤の始まりであることを。

人類が地球上を多い尽くすように増えたのは、人類だけに与えられた特権なのか。あるいは、いずれはどこかで行き詰まってしまうのか。老人は、増えすぎたネズミが群れのまま湖に入っていく光景を思い浮かべた。

「ネズミは悲しみを知らないから、また同じように生きていける…」

老人はなにやらつぶやき始めたが、傍らの孫に語りかけることはしなかった。

芝居は最終章の第4幕『絶望』に移った。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

どこまでも続く草原が広がっていた。そこでウサギが飛び上がり、落ちるまもなく消えた。それは空気のカーテンをくぐり抜けたようにも見え、CGのようにフェーズアウトしたようにも見えた。遠くでもウサギが飛び跳ね、空中に消えた。あちらこちらでウサギがポッと現れ、フッと消えた。

そこには何もなかった。いや、何もなかったのではない。草は、瓦礫の山を覆ってはびこっていた。瓦礫のいくつかは土器だった。銅鐸も見えた。ジュラルミンの板が草の根を持ち上げてもいた。その下には厚さ10m、幅20m、長さ100kmのコンクリートが横たわっていた。それはいつの日か陸と海を隔てていた“防潮堤”というものであったろう。その下には庖丁も、鍋も釜も、洗濯機もロボット掃除機も埋まっていた。セルロイドのキューピットは裸でキューっと哭いたままの形を続けていた。その横には錆びた無数の銃剣が巨大な塊となって眠っていた。

それらのいくつかは、大きな円柱形のコンクリート釜に乗っていた。釜の下は抜け落ち,カプセル型の容器を半分抱え込んでいた。その周りには赤や青色に塗られた大きなパイプが絡んだりくっついたり、ゆがんだりしながら四方八方に向かってつながっていた。ドーナツ型に閉じられた容器の一部には爆発で開いた穴があった。その下は地下水で満たされており、溶けたハンダのかたまりに似た不定形の“ある物質”があった。その中心部分は不気味にオレンジ色に輝いており、いまにもマグマのように突沸する準備をしていた。

地上も地下も静寂そのものであった。

地上では相変わらず、ウサギが飛び跳ねては消えた。

その、ウサギと見えたのはかつて“タマシイ”と呼ばれていたものであったろう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

舞台は、色とりどりのライトが微妙に点滅することによって、殺伐ともなり、また華やかにもなった。

スクリーンには埋もれた瓦礫が次から次へと映し出された。

やがて、スクリーンが暗くなり、第4幕が終わった。スクリーンの前にスポットライトが当たり、草に体の半分を埋め、膝を抱えて座り込んでいる老人と子供が浮かび上がった。老人はやおら立ち上がり、孫の手を引いて下手に向かった。「希望はどこに行っちまったんだ...」--そうつぶやいているようだった。そして消えた。

 

そのとき、観客席を取り巻いていたテントがまくり上がって、一陣の風が吹き込んだ。風がやんだとき、観客は一人もいなかった。