◆現代時評「テロとの戦い」:片山通夫

筆者の記憶に残るのは、米国による、いわゆる「テロとの闘いWar on Terrorism」は、2001年9月11日のニューヨークの事件がきっかけで、当時のブッシュ政権はアメリカに対するテロ攻撃への報復及び「テロリストの根絶」を目標にアフガニスタンへの侵攻を開始したことだったと思う。

結果はどうだったかは言うまでもない。アメリカ主導の「テロリストの根絶」はアフガンの無政府化、イラクのフセイン体制の崩壊そして今、イラクとシリアが混とんとしてISを代表とする「テロリスト」たちが我が物顔に横行し、ロシアの民間機に至るまで被害を受けている状況だ。そしてアフリカ諸国もイスラム過激派が台頭し、市民の平安な生活は風前の灯火だ。

そしてイラクから大量の難民がヨーロッパに押し寄せてきている現状は、ひとえに経済格差のなせる業だといえるのではないだろうか。20世紀が「戦争の世紀」なら、今世紀は「経済格差の世紀」であり、それに伴う「テロの世紀」であると断定したい。その経済格差の原因の大きな一つが「(経済的)新自由主義」と言われる無責任極まりない考えかただ。ここで言う新自由主義とは、簡単に言うとグローバリズムである。

アメリカ合衆国は、その持てる圧倒的な軍事力を背景とし、国際間の画一化を目指した。91年以降のことだ。。当然のことながら、各国独自の文化である伝統や慣習と衝突する。宗教もその例に漏れない。これは直接的に見ると「アメリカ文化」とその他の国々との文化戦争である。

我が国を例にみると一般的に宗教は多神教である。土着の因習や宗教と神道の融合もさることながら、仏教とも穏やかに融合している。だから他宗教の神に対しても寛容になれるのだ。しかしながら、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など、その根源が一つなのに、単に分派しただけのように、日本人からは見えるようだが、それぞれの宗教の立ち位置が全く違い、神に対する考え方も全く異なる立場から見れば、他の宗教は許しがたいのかもしれない。

さてアメリカの推し進めるグローバリズムは時として他国の文化と衝突する。それは他国の文化の否定ともとれる。そこに経済格差が顕著になると「搾取される」という考え方が定着するのではないか。そして「強大な軍事力」には「テロ」という非常手段でしか対抗できないとする考え方が定着する。

テロリズムが蔓延する悪循環だ。

アメリカやそれに追随する安倍政権がいくら「テロとの戦い」を叫んでも決してテロリズムはなくならないと危惧する。力で押さえつけようとも決して解決しない。

「1000人のテロリスト」を殺害しても「10000人のテロリスト」を生むだけである。いや、果たして彼らをアメリカや安倍政権が言うように「テロリスト」なのかどうかさえ疑問だ。

例えばナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンスはテロリストだったのか?