◆現代時評《「1億総活躍」愚劣発想の根源》: 井上脩身

安倍晋三首相は「1億総活躍社会」を実現する、として10月7日に行った内閣改造で「1億総活躍担当相」を設けた。「一億総玉砕」など、戦時中の“火の玉精神”を思い浮かべる時代錯誤なスローガンを臆面もなく掲げる安倍首相。その愚劣な発想の根源は、首相の故郷・山口県北部にある「松下村塾」にあるのではないか。といっても吉田松陰の高邁な思想を首相が理解しているとは思えない。同塾で学んだ長州藩士の流れをくむ明治政府の政治を理想としているように私(筆者)には見える。首相が目指しているのは、天皇中心の中央集権体制による富国強兵国家づくりである。

昨年、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。同遺産は、「軍艦島」と呼ばれる長崎県の端島炭鉱など8地区23件の遺産から構成されている。このなかに、「松下村塾」が入っていることに私は強い違和感を覚えた。

松下村塾がある萩市は、安倍首相の出身地の長門市の東隣だ。安倍家の故郷(首相自身は東京生まれ)の人々の自慢は松下村塾であろう。登録申請の際、強引に理屈づけて産業革命遺産に結び付けた、としか思えない。

今年のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」は、「松下村塾」がテーマだ。松陰とその愛弟子の久坂玄瑞、高杉晋作らの倒幕運動から富岡製糸場を中心とした明治新政府の富国政策までを、主人公である松陰の妹の目を通して展開させている。なぜ今松下村塾なのか。何者かの強い要請があった、とみられてもやむをえまい。

世界文化遺産にしても、また「花燃ゆ」にしても、首相の差し金があった、といえる証拠はない。ただ、明治以降、この国の政界に脈々と息づいた長州閥の流れの中にいる首相としては、「松下村塾」に学んだ志士やその後継者がつくり出した近代政治に強い関心を抱いていたに違いない。

吉田松陰は常々、「武士は守死であるべきだ。守死とはつねに死を維持していることである」と語った。(司馬遼太郎『世に棲む日日』文春文庫)。高杉晋作は農民らを組織して奇兵隊をつくり、後の徴兵制のもととなる。幕府が倒れ、やがて伊藤博文、山縣有朋ら長州出身者が明治政府の中枢を担う。彼らは「欧米列強と肩を並べる」ことを目標に、富国強兵政策を強力に推進。その一方で、藩を廃止して中央集権体制を構築し、天皇を中心とする立憲君主国家を目指した。

安倍首相は靖国神社の今年の秋の例大祭で真榊(まかき)を奉納した。同神社が天皇の名で戦場に送られて死んだ人の霊をまつる神社である、との性格をみれば、首相は戦前の天皇中心国家への思いを内に秘めている、とみることができるだろう。また「地方創生」といいながら、辺野古問題では沖縄県民の意思を全く無視する強硬な姿勢は、中央集権的国家観の持ち主であることを如実に示している。

集団的自衛権行使は、本欄で何度も述べてきたように、アメリカの戦争を、アメリカと共に、またはアメリカに代わって戦争をするというものだ。軍事費が増大するのは火を見るより明らかだ。さらに、首相は「新三本の矢」と称して国内総生産(GDP)を600兆円に拡大して「強い経済」の国にするという。要するに「富国強兵国家」にまい進しよう、というのである。

こうした中での「1億総活躍」表明である。子どもから老人まで、退職してのんびり休みたいと思っている者はもちろんのこと、病に伏している人も欠けることなく「国のために活躍せよ」というのである。

災害が起きれば誰もが、可能な範囲で生きるために頑張らねばならない。だが、1億人みんなが災害に遭うことはない。ならば、国が全国民に求める活躍の場面は「戦争」しかないではないか。活躍とは「死を維持する」こと、つまり「国のために命を懸ける」ことであろう。国民皆兵と銃後の守りの時代の、「一億一心」して「一億総特攻」精神。そんな70年前を思い起こすスローガンを掲げ、「中国に負けてはならじ」と国民を鼓吹しようとしている。

テレビが普及し始めた1957年、評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」と、番組の低俗化に警鐘を鳴らしたのを思い出す。「1億総活躍」などという首相しか持てないのは、国民が「一億総白痴化」しているからであろうか。