現代時評 《辺野古と集団的自衛権》井上脩身

安全保障関連法案の国会審議がヤマ場に差し掛かった9月12日、防衛省は沖縄県名護市の辺野古移設作業を再開した。同月19日未明の参議院本会議で安保法を強行成立させた安倍晋三首相は、辺野古基地建設についても強行する構えだ。辺野古基地を集団的自衛権行使のための基地にする魂胆だからに違いない。辺野古建設を阻止することは、憲法違反の安保関連法を葬り去ることでもある。

本欄でも取り上げてきたことだが、1947年の憲法施行と1951年の日米安保条約の調印によって、憲法体系と安保体系という相矛盾する二つの流れがわが国の戦後を形作ってきた。9条を根本規範に置く憲法体系は「武器、軍隊を持たず戦争をしない」ことであり、安保条約を基本に据えている安保体系は、「米軍が日本を基地にして戦争ができるようにする」ことである。自衛隊は、憲法体系内の自衛力を建て前としつつ、安保体系の中で米軍の補完軍事力と位置付けられた。

こうした戦争と平和という絶対的矛盾を取り繕うため、日本政府は沖縄に集中的に配備されている米軍の基地や軍事施設を支えてきた。日本の国土面積の0・6%に過ぎない沖縄県に米軍施設の74%が集中している現状を見れば、沖縄は日米安保のための戦争ができる島といって過言ではない。

安倍首相が成立させた安保関連法は、日本を攻撃するのではないある国に対して米軍が戦争を仕掛ける際に、自衛隊が参戦することができる、という法律だ。さらに言うならば、軍事費を抑えたいアメリカの意向をくんで、削減されるであろう米軍の分まで自衛隊が代わって戦場に赴こう、というものだ。これまでの安保体系をも超える事実上の「集団的攻撃法」である。

米軍の戦争に参加するためには、米軍と一体化できる軍隊であることが求められるだろう。そのためには、「集団的自衛隊」ともいうべき特別訓練を受けた自衛隊が米軍と常に共同行動できる基地がなければならない。安倍首相にとってネックは安保関連法に多くの憲法学者が「憲法違反」と指摘していることだ。となると、焦点になるのが「安保のための島」である沖縄である。歴代政府は一貫して沖縄を差別してきた。安倍政権もその姿勢は変わらない。ベトナム戦争で嘉手納基地から米軍の戦闘機が出撃した例もあり、沖縄を「集団的自衛権行使の島」にしようと考えるだろう。

沖縄の米軍基地は、「銃剣とブルドーザ」という言葉に象徴されるように、戦時中の旧日本軍の飛行場を拡張させたか、新たに農地を強制的に徴用して築かれた。要するに、施政権を持つ米軍は沖縄の人たちの土地を強奪して基地の島に仕立て上げたのだ。沖縄復帰前はもちろん、復帰後も日本政府が口を挟もうとはしなかった。

こうした中で、唯一、日米が協議して造られるのが辺野古基地である。96年、日米両政府が県内移設を条件に普天間飛行場の全面返還に合意したことから辺野古が新基地として浮上。辺野古沖合に基地の島を造り、1800㍍と1600㍍の2本の滑走路を設ける計画だ。

建て前は普天間移設先としての米軍専用基地米軍だが、それならば滑走路は2本も要らないはずだ。日本が積極的に建設を進めているだけに、その1本が自衛隊用滑走路となる公算が大きい。辺野古基地は集団的自衛権行使のために築かれる、とみるべきだ。

沖縄県の翁長雄志知事と菅義偉官房長官が辺野古問題で対談した際、翁長知事が「銃剣とブルドーザが沖縄県民の原点」と述べたのに対し、菅官房長官が「96年の日米合意が原点」と語ったことは、辺野古の本質をよく表している。「憲法が保障する平和の島にしたい」という沖縄の人たちの強い思いには見向きもせず、安倍政権は集団的自衛権行使島にする姿勢を暗に示したのだ。

辺野古をつぶすことは安保関連法を事実上つぶすことにつながる。反辺野古の闘いを国民的反対運動に広げられるか。この国の憲法と平和を守るために、待ったなしである。