◆現代時評《米政府向けだった砂川判決》:井上脩身

政府・自民党は安全保障関連法案について、「60日ルール」を使って衆院で再可決してでも、今国会で成立させる方針を固めた。同法案の核心をなす集団的自衛権の行使について、ほとんどの憲法学者が「憲法違反」と指摘しているにもかかわらず、政府与党は「合憲」だと言い張り続けている。その根拠として挙げているのは「固有の自衛権は否定されていない」とする砂川事件の最高裁判決だ。


ところが、この判決前、田中耕太郎・最高裁長官が当時のマッカーサー駐日大使と秘密裏に会談したことを示す文書が2011年に発見されていた。最近刊行された『検証・法治国家崩壊』(創元社)に掲載された秘密文書から浮かび上がったのは、砂川最高裁判決がアメリカ迎合判決である疑いが濃厚になったことだ。「憲法よりもアメリカ」体質は司法のトップにまで及んでいたのである。

同書は吉田敏浩(ジャーナリスト)、新原昭治(国際問題研究家)、末浪靖司(ジャーナリスト)の3氏の共著だが、田中・マッカーサー非公式会談の記録を見つけたのは末浪氏である。1959年11月、マッカーサー大使が田中長官と交わした密談内容を、同大使は同5日、アメリカ大使館から国務長官に宛てて極秘書簡として発送。同6日、受領された。末浪氏は11年秋、アメリカ国立公文書館でこの報告文を発見した。

砂川事件は1957年、砂川町(現立川市)の米軍基地内に数メートル入ったデモ隊の23人が逮捕され、7人が起訴された事件。東京地裁の伊達秋雄裁判長は59年3月30日、「米軍駐留は憲法9条違反」との画期的判決を下した。安保条約の改定を翌年に控えた日米両政府は、この伊達判決に衝撃を受け、最高裁に跳躍上告をした。米国政府が最高裁で地裁判決を覆すことを望んでいたことはいうまでもない。こうした緊迫した状況のなかで、最高裁長官と駐日アメリカ大使が秘密裏に会談をした、というのである。

マッカーサー大使が国務長官に対して行った報告は次の通りである。
「田中最高裁長官との最近の非公式の会談のなかで、砂川事件について短時間話し合った。長官は、時期はまだ決まっていないが、来年のはじめまでには判決を出せるようにしたいと言った」と、田中長官が判決言い渡し時期を示唆したことを表示。さらに「裁判官の何人かは、東京地裁には合衆国軍隊駐留の合憲性について裁定する権限はない(と考えていることが)私にはわかった」と、会談から受けた感触を述べた。

このうえでマッカーサー報告は「田中長官は、下級審の判決が支持されると思っているという様子は見せなかった。反対に彼は、それが覆るだろうが、重要なのは15人のうちのできるだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定することだと考えているという印象だった」と、多数意見についての感触にまで言及。 「憲法問題に伊達判事が判決を下すのはまったく誤っていた、と彼(田中長官)は述べた」と、田中長官が伊達判決を否定していたことも明らかにした。(前掲書)

裁判所法は「評議の経過、各裁判官の意見、その多少の数については、秘密を守らなければならない」(第75条)と、裁判長に守秘義務を課している。ところが最高裁長官自らその義務に反し、アメリカ側に内通していたことを、この秘密書簡は如実に物語っている。

はたして最高裁判決は会談から1カ月余り後の12月16日に大法廷で言い渡された。地裁判決を破棄し差し戻したうえで、「憲法9条は自衛権を否定していない」と自衛権を認めた。さらに安保条約について「違憲か合憲かの法的判断は司法裁判所の審査には原則としてなじまない」と憲法判断を避けた。憲法によって安保条約を裁定できないとするこの統治行為論は、安保条約が憲法の上位にある、と認定したことにほかならない。

田中長官がマッカーサー大使の要請に従って判決を下したとまでは言えないが、会談に応じること自体、同大使への迎合姿勢であったと言わざるを得ない。極限すれば、砂川最高裁判決は憲法を軽んじる米国向け判決だった。

こうしてみると、集団的自衛権が合憲であるとの根拠を砂川最高裁判決に求めたことの真の狙いが浮かび上がる。アメリカのためである集団的自衛権行使は憲法より上位にある、との憲法軽視論が安倍政権の根底に流れている。始めから憲法を守る気はさらさらなかったのである。